林真理子という作家は、一九八四年、『星に願いを』で小説家デビューしたときには、既に手練れであった。老成していたと言っていい。本書『トライアングル・ビーチ』を読んでいて、つくづくそんな思いを新たにした。
収録されている六編は、八七年から八八年にかけて発表された。林さんが三十三歳から三十四歳に当たる時期だ。それぞれの物語の主人公もほぼ三十前後の設定。発表前の八六年に「最終便に間に合えば」「京都まで」で直木賞を受賞しており、そういう作家に言う言葉ではないかもしれないが、とても同世代を書く手つきではない。酸いも甘いもかみ分けたずっと年上の作家が、人生の秘密を明かしてくれるような風情を漂わせている。
もちろん一方で、その年齢だからこそ書けた瑞々しい官能にあふれてもいる。若さゆえの性の悦び、熟し始めた性の馴れ合いが濃厚に匂い立って、思わずため息をついてしまいそうな短編集である。
本書は、九一年に文春文庫で刊行された『短篇集 少々官能的に』を改題した新装版である。旧版のタイトルが単純にストレートなのは、時代性もあったろうか。
出版市場は九六年をピークに下落を始めるが、それまでは本や雑誌は娯楽界に君臨していた。初出は収録作中四編が『オール讀物』、一編が『小説現代』、残る一編が『週刊文春』となっているが、雑誌は今とは比べものにならない部数を誇っていた。『オール讀物』『小説現代』などの小説誌にはグラビアがあり、対談や企画記事も多く、そして小説は短編が定番だった(蛇足だが、『小説現代』は一年半の休刊を経て二〇二〇年、長編小説の一挙掲載を目玉にするリニューアルを遂げた)。当時は人気作家であればあるほど、短編の執筆を求められたのだ。林さんはデビューの初めから注目を集める人気作家だった。タイトルに凝るよりも、どんな内容か一目でわかる方が読者の反応がよかったのだと思う。林真理子の官能的な小説を集めた一冊、ということが伝われば十分だったのだろう。
それはともかく、物語の舞台に多彩なシチュエーションを用意しているサービス精神には見とれてしまう。しかも今から三十年以上も前(!)に書かれたのに、少しも古びていない。普遍性を帯びているのである。なぜならば、そこに描かれている女の心情やディテールに、生きていればこそ放たれる、きわめて人間臭い本音、本質が潜んでいるからだ。
「作家の目」「作家の耳」というものがあることをご存じだろうか。日々、身の回りで起きた些細な出来事、人々の何気ない会話を、作家という人種は克明に記憶に刻みつけるものなのだ。
ある時、林さんと二人で喫茶店でお茶を飲んでいた。取り立てて打ち合わせをしていたわけではなく、忙中閑ありのような時間で、漫然と雑談していたと思う。隣の席に二、三人の女性客がいた。彼女たちが席を立った時、「隣の人たちの話、面白かったね」と林さんが言った。いや、私は隣にいても耳に入ってこなかった。彼女たちは大きな声を出していたわけではない。あの音量を、人(私だが)と話をしていて聞き取るのかと驚いたことがある。ふと入った店で見聞きした中年カップルの会話とか、新幹線の停車駅で車窓から見たホームにいる人の振る舞いとか、面白い話を何度か聞かせてもらった。しかし林さんというフィルターを通さなければ、私ごときでは面白さに気づかずスルーしてしまうたぐいの出来事だった。
こうして林さんの目や耳によって濾過されたディテールに、人間の真実が宿る。その妙技が、短編ながら惜しげもなく注ぎ込まれているのが『トライアングル・ビーチ』なのである。林作品を読む醍醐味の一つはここにある。
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