そう、「読むクスリ」のような内容の長期連載は、わたしのような門下生を生む。しかし土屋先生の読者は、門下生という感じではない。信者だろうか、ファンだろうか、それとも会員?……。デフォルメされた「御自身」や「妻」など定キャラが出てくる、人形劇の観客? 先生というゼミの聴講生? 先生という落語の客?……と考え、ふっと、モモの後ろ姿が浮かんでくる。あの、ミヒャエル・エンデのファンタジーの主人公の、頭ボサボサの、スナフキンみたいな子ども浮浪者、モモ。そうか、とわたしは膝を打つ。『モモ』の作者のミヒャエル・エンデも本質は哲学者。モモは「哲学者」の脳内キャラのうち、最も雑みの少ない純粋哲学、つまり遊びの体現者。遊びをせんとや生まれけむ、という子ども。
土屋先生は、モモ同様、時間泥棒と戦う、自由の戦士。効率という名の味気無さと、言葉で戦う吟遊詩人。大人の心の空き地の守り人。この息苦しい空中に生い茂るエアプランツ……。我々読者は、先生が身を挺して生んだ余白で息抜き、または、深呼吸するサバイバー。
以下、更にわたしがスマホにメモした部分だ。
なぜ人間は不安を感じるのだろうか。答えは明らかだ。不安がなければ、行動は軽率になり、簡単にウイルスに感染し、事故で命を落としてしまう。生き延びるためには不安が必要だ。
どんな生物も、怯えることによって生き延びてきた。不可解な現象に接すると本能的に最悪の事態に備える。路上の縄を見てヘビだと思うのもこのためだ。
「中高年が危ない」の項は、どこと特定できず、全文メモした。この項は読み込んで暗唱したくなる、これでリーディング大会を開きたい程の完璧な「作品」で、緊急事態下で炙(あぶ)り出された、実は精神が緩みきっていて危険なこの国に対する警鐘を、その緩みを最も体現している日本のエアポケット的中高年の発言を取り上げ斬ることで鳴らしている。機能美というのだろうか、装飾皆無の鋏(はさみ)を見ているような簡潔美。一部引用する。
外出自粛要請の中、パチンコ店や居酒屋に群がる中高年男がテレビの取材に答えている内容がヒドすぎる。(中略)
「〈自粛〉じゃなくて〈行くな〉と言ってくれたら行かない」(居酒屋の客)
お前は羊か? 自主判断は人間だけの特権だが、自主判断ほど人間の苦手なものはない(自主判断できるのなら法律も警察もいらない)。この客も、だれかに判断してもらい、都合の悪い結果が出たら批判する了見だ。責任回避したいのだ。自分で全責任をとる動物を見習えないか? コロナに感染するよりも罰金の方を恐れるような判断力でよく生き延びられたものだ。逆に感心する。
「俺が行かないと店が潰れる。国が補償するなら行かない」(居酒屋の客)
さほど裕福には見えないが、店を支えるつもりなら、たんに送金すれば店はもっと助かるのではないか? それほど親切なら、わたしの本を買い支えてほしい。
「自分は感染しない自信がある」(パチンコ店の客。八十代の高齢者)
その「自信」で人生、どれだけ失敗してきたか、その歳になれば分かるはずだ(わたしと同じく、人生のほとんどを失敗してきたような風采だ)。第一、それほど自信があるなら、なぜマスクをしているのか。(中略)
「『不要不急』の定義が分からない」(居酒屋の客)
若者からも聞かれる答えだ。では、「山」は定義できるのか(どれぐらい高ければ山なのかなど)? 「山」を定義できなければ登らないか? 「こっちに来い」と言われて、「こっち」がどの範囲を指すのか精密に定義できないという理由で拒否するか?
……このまま項全文引用したいシームレスモードだが、後は本文に戻って何度でも読んでいただきたい。コロナ下の重息苦しい空気を一刀両断する、快刀乱麻の爽快感、論語の如き無駄の無いリズム感を存分に味わえ心が整体されること請け合いです。引用部分の白眉は、「自分で全責任をとる動物を見習えないか?」。これは『鬼滅の刃』の「全集中」と共に現在のわたしの二大まじないワードとなっている、御守り帯刀パワー文だ。
本文によると、土屋先生の三十年来の夢は、ミステリ作家になることだという。人類が、晴れてコロナ明けに快哉を叫ぶ暁(あかつき)には、是非とも先生のお書きになっている(だろう)世界中でミリオンセラーのミステリ、『伊豆急行無殺人事件』が読めますように……。
九螺ささら拝
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