哲学者土屋賢二先生の「週刊文春」誌上の長期人気連載「ツチヤの口車」は、日常と世相を、読者の「常識」を脱臼させてくれるような発想と展開で語る読み物。「(読むと)なんとなく、ダメな自分が、そのまま、ダメなままで、生きていてもいいような気がする」を推薦コメントとして(!)、シリーズの文庫『無理難題が多すぎる』が2020年本屋大賞「超発掘本!」(こんなに長期有名人気なのに「発掘」!)に選ばれたばかり。
本文庫に収録されたものは2019年10月から2020年12月に掲載された分だ。よって途中から、「コロナ」や「感染」や「自粛」という言葉が混入してくる。それに伴い土屋先生の語り口は少しずつ変化していくように思う。人気エッセイストの真髄である軽妙さを、本質である哲学者メンタルの洞察力が上回り、冴え渡った筆は『鬼滅の刃』の日輪刀めいてくる。例えばわたしは以下の部分を繰り返し読んだ。
新型コロナの猛威が続いている。まるで長々と説教されているみたいだ。
ああ本当だ! 我々人類は昨年の年頭以来、「まるで長々と説教されている」みたいだ! 言語化されて初めて、「これは、それだったんだ!」と氷解するヘレン・ケラー、ウォーター体験。
長々とした説教自体にも鬱々うつむき悶々とするが、説教発信者の不明(一体誰からこんな仕打ちを?)に戦(おのの)く。そこで我々日本人は、世界に先立ち『鬼滅の刃』を大ヒットさせ、大厄祓いをとり行った。個人的なアクションとしてはとある真夜中、この長々とした説教の不自由さ理不尽さに突如猛然と憤慨し、自由の女神のごとくすっくと立ち上がって(心の)拳を振り上げ、マイフランス革命と称して「人権侵害! 人権侵害!」と小声で高らかに(マスクをして)叫びながら一人で外を行進(散歩)して回って凱旋(鬱憤を晴ら)した。
そして。
だれでも自由はほしがると思っていた。だれでも刑務所に入るのをイヤがるはずだ。だが、パチンコ店に並ぶ客が「禁止になればいい。店が開いているから来るんだから」と言ったことには驚いた。自分で決める自由を放棄しているのだ。それなら国が全財産を差し出せという法律を作れば、喜んで従うのだろうか。
人類は命を賭けて自由を勝ち取ってきたが、その一方で、これほど簡単に自由を放棄する人がいるのだ。
全く同意。わたしがコロナで最も疑問に感じたのもこの部分だ。日本人は、自分の命までも政府に何とかしてほしいのか? 政府に生きろと言われたから生き、死ねと言われたから死ぬのか? 何たる屈辱! そうだこういうことがずっと違和感だったのだと、先生の文章を読んでいて分かってくる。言語化とは、最たる精神衛生術なのだ。安全な箱の中で飼い慣らされ続けると、生きものは自分で自分を守れなくなる。精神の足腰をヤラれて自尊心を失い、スピリットが自立歩行不能になるから。命よりも、そのことの危機をわたしはひしひしと感じていたのだ。自分を最終的に何とかするのは自分だ。それに気づかされ続ける試煉期間は連綿と今も終わらない。
ここで生きていていいのか、ここで死んでいいのか。今死んでいいのか。今死んでこのスマホを誰かに見られて恥ずかしくないか。やり残していないか。言い残していないか。言い過ぎていなかったか。あれはあれで良かったのか。あれしかなかったのか。今はこれでいいのか。これしかないのか。「これ」は望んだ未来か……。我々は生存の危機に晒されながら、命懸けの自問自答地獄を生きている。早くみんなでコロナサバイバーになってクラッカーを放ってシャンパン片手に、「あの時」を懐かしく語り合いたい。そんな渦中だ。
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