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哲学者の洞察が冴えわたる爆笑エッセイ 土屋先生は「心の空き地の守り人」だ!

哲学者の洞察が冴えわたる爆笑エッセイ 土屋先生は「心の空き地の守り人」だ!

文:九螺 ささら (歌人)

『不要不急の男』(土屋 賢二)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・エッセイ

『不要不急の男』(土屋 賢二)

 そんな渦中で究極のことを言ってくれるのは、例えば、自身の言葉に責任を持てる(持つことが仕事であるところの)学者という存在だ。解剖学者の養老孟司先生が朝日新聞(二〇二〇年五月十二日)に寄稿され「人生は本来、不要不急ではないか」と書かれていた。それを読んだときも不安の底に足がついたような、底着き感、不安に限界がある、無間地獄ではないことの安心感を得て救われたが、哲学者である土屋先生のお言葉では、共感により安堵し救われた。共感により、脳内の自問自答空回りプロペラが二重になり重くなり、速度を落として落ち着きを得たのだ。脳という宇宙を手にして全てを俯瞰する神視座で語るのが解剖学者養老先生、人類の叡知の昇華されたエッセンスを手にして、全てを疑いそれでも「そう思う我がいる」という実感を根拠に現象を観察分析するのが哲学者土屋先生なのだろう。俯瞰と疑いの専門家、二人の大賢者がそう言うならば、そこが人知のデッドエンドなのだろうと、例えばわたしはじたばたの抵抗をやめて「今ここ」にとどまる(自足する)。

 人類におけるデッドエンドのサイン感受タイミングを見分けるのは簡単だ。それを感受した瞬間「思わず」笑いが出るから。「人生は本来、不要不急」「禁止になればいい。店が開いているから来るんだから」に関してわたしは、前者には硬い蕾がほころぶように笑い、後者には不謹慎にも吹き出した。

 きっと戦争中にもこんな風に誰かがふっと笑ったり思わず吹き出したりしていたんだろう……。わたしは人類史上の災難ケースに思いを馳せ、同シチュエーションの今は亡き先人の困窮、困惑に同期共鳴し、今だけ、わたしだけではないんだと心を強くする。そして、物理的には見えない彼ら受難者とスピリチュアルミーティングを行い、深く交歓して元気(定位置)になる。

 スペイン風邪の時もペストの時も、人はある時期から終わりが見え出し笑っていたことだろう。この笑い(拘泥から一転、俯瞰の態度)が、ライン越えのサイン。もうすぐ陸がありますよ、の、鳩がくわえてきたオリーブの葉。永遠拷問ではありませんよ、の光のお告げ。拘泥していた事態から引き剥がし浮遊させてくれる一滴の界面活性剤……。アメリカの大統領バイデンさんが言うように、今度のクリスマスには我々はきっと元の暮らしを取り戻し、「メリークリスマス!」とマスクなしで祝い合い乾杯しているのだろう……。どうか、そうでありますように……。

 個人的に(最近この個人的というワードが非難されているようだ。「個人的以外にどういう立場があるの?」と。しかし、どこかや何かの制約や裏事情なしに純粋個人の感情でという意味においてやはり、個人的に)、「週刊文春」の連載物には思い入れがある。

 高校生時代、当時の人気連載エッセイ(というより無駄のない文体という意味ではコラムだったのだろう)「読むクスリ」の密かにして熱烈な愛読者だった。「読むクスリ」とは実に全くナイスネーミングだ。上前淳一郎先生のあの連載は、読むと心身に効いてクスリと笑ってしまう養命酒のコーラ割りみたいな読み物だった。わたしは、父が毎週必ず買ってきて一通り読み終えふっとダイニングテーブルに雑誌を置くその瞬間を、今か今かと、全身を腹を空かせた犬の鼻先にして窺っていた。そしてやっと手にした「文春」を、急いでこっそり自分の部屋に持っていき、何度も何度も「読むクスリ」を読み返し、暗記したくらいになってから何事もなかったかの如く再びダイニングテーブルの上に、少し乱したしかし乱れ過ぎていない自然な雰囲気を纏(まと)わせ、時空の間断など微塵もなかったかのように置いておくのだった。

「読むクスリ」は「プチプロジェクトX」。「『分かりません』と答える社員が伸びる」「煮魚定食を上手に食べる若者が採用される」「大きな声で挨拶すれば強盗も逃げていく」「新聞の死亡記事を情報源にする」「『さてそのつぎは』を社訓にする」「『売り場』という呼び方を『お買い場』に変える」「剣道の『残心』はマナーに通ず」「サラリーマンは猫化する」……(文庫紹介記事より)などのエピソードが、どれも珠玉のプチミステリなのだ! わたしは報連相(報告、連絡、相談が大事というビジネスマナーの頭文字を、野菜のホウレン草に音で見立てて並べた短縮言葉)も「読むクスリ」で学んだ……。

文春文庫
不要不急の男
土屋賢二

定価:715円(税込)発売日:2021年07月07日

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