
不思議な作曲家
──近田さんが最初に筒美京平という存在を認識したのはいつのことだったんですか。
近田 昭和42年8月に、グループサウンズの一角を占めるヴィレッジ・シンガーズが、「バラ色の雲」(作詞:橋本淳)というシングルをリリースしたのよ。
──彼らにとっては、3枚目のシングルとなります。(※注・年号の表記は昭和期は昭和、平成以後と洋楽には西暦を用いた)
近田 もともと彼らは、アメリカのフォークロックを日本に翻案したような音楽を得意とするバンドだったわけ。「バラ色の雲」の前年に発表されたデビュー曲の「暗い砂浜」は、カントリー歌手の大御所だった寺本圭一さんが作詞し、このバンドのメンバーの小松久さんが作曲した楽曲。バーズを思わせる12弦ギターの使い方などには、玄人を唸らせるセンスがあったから、当時高校生だった俺も気に入ったのよ。
──ボブ・ディランの作った「ミスター・タンブリン・マン」(1965年)をヒットさせた、初期のバーズに近かったんですね。かなり進取の精神に富んだバンドだったわけだ。
近田 ただ、やっぱりそれじゃ売れなかったんだろうね。巻き返しを図ったとおぼしき「バラ色の雲」は、デビュー曲とは似ても似つかぬ甘ったるいフォーク歌謡でさ、心からがっかりしたのを覚えてる。当時の自分は英米のロックに惹かれていたからね。「フリフリ」(昭40)、「ノー・ノー・ボーイ」(昭41)といったメンバーの自作曲をリリースしてきたザ・スパイダースが、浜口庫之助の作詞作曲した「夕陽が泣いている」(昭41)を出した時の失望と同じものを感じたよ。GSって、最初こそ洋楽みたいなカッコいい曲を歌っていても、すぐに日和って歌謡曲みたいな方向に走っちゃうわけ。それがいつも不満でさ。
──まあ、お茶の間向けの分かりやすい音楽性が求められたんでしょうね。
近田 「バラ色の雲」は自分としては納得のいかない曲だったんで、「誰なんだろう、こんな曲作ったのは」と思って、レコード屋で歌詞カードを見たら「筒美京平」と書いてある。俺の趣味じゃない曲を書く作曲家として、最初はその名前を認識したのよ。
──意外にも、不幸な形での出会いだったんですね(笑)。その印象が好意的なものに変わったのはどこからですか。
近田 昭和43年の9月にリリースされたザ・ジャガーズの「星空の二人」(作詞:橋本淳)と、同年同月に発売されたオックスの「ダンシング♥セブンティーン」(作詞:橋本淳)がきっかけ。いずれもスタックス系のR&Bを巧みに採り入れたカッコいい曲だったから、作曲のクレジットを確認したところ、あの筒美京平という名前が記されていた。この2曲と「バラ色の雲」を書き分けられるこのコンポーザーは、一体どんな人なんだろうと不思議に思ったんだよ。
(「【第1部】 近田春夫による筒美京平論」より)
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