一
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく
この二首を聞いたことのない人はまれだろう。短歌雑誌で愛誦歌のアンケートが行なわれることがあるが、きまって最上位にならぶ二首である。「白鳥は」とたとえば誰かが会話の途中などで口にすれば、「哀しからずや」の歌ですねと、誰かが後を続ける有名な短歌だ。だが、作者はと問われれば、若山牧水と答えられない人がいるかも知れない。そして、牧水の短歌だと知っていても、作者の牧水がどんな境遇で歌ったかになると、知っている人は少ないにちがいない。もっとも、一首の背景や作者の境遇についての知識がなくても、「白鳥は」も「幾山河」も読者の心に深くしみる。それこそが愛誦歌たる所以だが、バックグラウンドを知れば、よりいっそう愛誦性が高まるのが名歌というものである。
詠み人知らずとなるほどの名歌を詠んだ若山牧水については、「旅と酒の歌人」のキャッチフレーズばかりが先行あるいは肥大して、一般の関心はそこで終わってしまっているように思うが、特に知られていないのは若き日の牧水の恋愛である。「運命の女」と言っていい園田小枝子との出会いと別れ。
そんな牧水の恋愛の全貌を明らかにした画期的な一冊が、俵万智の本書『牧水の恋』である。没後九十余年を経て牧水の恋はよみがえった。恋の歌を収めた『海の声』『独り歌へる』『別離』の歌集はいずれも明治四十年代の刊行であるが、小説では夏目漱石の『三四郎』や『それから』、森外の『青年』や『雁』が書かれた時期であり、恋愛と青春が文学の主要なテーマとなった時期である。牧水の恋の歌も二十世紀初頭の重要な文学作品として位置づけることができる。
文学史上のそういった価値はともかく、恋愛離れがささやかれる今の若者は牧水の恋をどう考えるだろうか。俵万智が生々しくよみがえらせた恋からは、いつの時代も決して変わることのない人間の赤裸々な心と身体の熱い息づきが伝わってくると思うし、今の若者にこそ牧水の恋を知ってほしいと思う。二十代のときに牧水の恋を知って俳優の堺雅人は心動かされた。堺雅人と私の対談集『ぼく、牧水!』(角川oneテーマ21)を見てもらうと、彼の新鮮な牧水像が躍動しているのがわかる。牧水の恋愛と青春は、涸れることのない泉のように汲み尽くせないものをもっている。
若山牧水は明治十八年に宮崎県の今の日向市東郷町坪谷の山村に生まれた。父親は医師で、母親は士族の娘だった。幼少期は自然豊かな環境で育ち、中学時代は県北部の延岡でよき教師と友人に恵まれている。明治三十七年に早稲田大学に進学、福岡県柳川出身の北原白秋とは同級生だった。さらに白秋を通して岩手県盛岡出身の石川啄木とも知り合い、親交をもった。そして、大学三年生の夏に園田小枝子と出会ったのである。五年間の、身も心も激しく燃える恋愛が始まることになる。
牧水は若い日の短歌で自分の恋を歌っている。というより、ほとんどが恋の歌と言っていい。にもかかわらず、その恋の実際はベールにつつまれたごとくよくわからないことが多く、真相が見えないできた。歌集『別離』は版を重ね広く読まれ、読者はこれまでにない作者の大胆で率直な恋の心情の表現に興奮かつ感動した。しかし、おりおりの心情は伝わっても恋の具体的な経緯はわからないままだった。わからないままで読者を引き込む力をもっていたと言える。たとえば、恋の相手の女性が年齢は何歳くらいで、どんな家庭環境で育ち、何を生業としていたかなど、読者は知らないのである。いま私が記している園田小枝子という名前もなんと昭和五十年代になって知られるようになったのである。それまでは「某女」「某小枝子」などと書かれていた。彼女のことを決定的に明らかにしたのは牧水の高弟の大悟法利雄が総合雑誌「短歌」の昭和五十一年十一月号に発表した「牧水の恋人小枝子を追って」の長編評論である。この評論に先立ち「毎日新聞」十月十六日夕刊は紙面のほぼ半分を使って大悟法利雄の評論を記事にしている。「若山牧水の恋人―小枝子は人妻だった」の見出しで始まり、小枝子の写真を大きく掲載している。私はその記事のコピーをもっているが、牧水の恋の真相を明らかにする大悟法の徹底した調査による評論は、それだけのニュースバリューのあるものだったのである。なぜこの時期だったかといえば、小枝子や関係者が死去したことで発表がしやすくなったことが考えられる。
これで牧水の恋愛の相手の小枝子のプロフィルはもちろん、恋の発端、推移、終末がほぼ明らかになった。そして、伊藤整著『日本文壇史第17巻 転換点に立つ』(講談社文芸文庫)や川西政明著『新・日本文壇史第2巻 大正の作家たち』(岩波書店)でも、かなりのページをさいて牧水の恋愛について詳しく記述している。ベースは大悟法利雄の「牧水の恋人小枝子を追って」であり、この評論の貴重さがわかるというものである。
ただ、後に『若山牧水新研究』(短歌新聞社)に収められたこの評論に、説明として牧水の恋の歌が引かれているものの、それは傍証という感じである。恋愛の経緯は経緯として参考にしつつ、牧水の恋の歌をあらためて一首一首しっかりと読んでゆけば、さらにはっきりと見えてくる二人の恋の姿があるのではないか。当たり前のことながら、牧水は歌びとなのだから。歌びと俵万智の果敢な挑戦がここに生まれた。