明治四十二年のこの時期、別れ話も出ていたと思われる。他の作品も引いて俵万智は「心が求めているのか、体が求めているのか、とにかく別れ話に際して千々に乱れる心を、牧水は詠み続けた」と言うが、そんな文章の合間に自作の「議論せし二時間をキスでしめくくる卑怯者なり君も私も」をさりげなく引いて論を補強(?)しているのもさすがだ。
第十章は「眼のなき魚」。牧水は明治四十三年一月に歌集『独り歌へる』、四月には先に出版した『海の声』と『独り歌へる』に新作をくわえ新しく編集した歌集『別離』を出版した。この『別離』によって牧水は注目を浴び、人気歌人となり、その点では幸福感にみたされた。だが、一方で小枝子の妊娠という思わざる事態が生じ、牧水は大きな苦悶を抱くことになる。大悟法利雄の資料によりながら俵万智はその牧水の苦悶を丁寧に読み解く。
この時期の代表作として「海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり」を引き、「シンプルな構造と、リフレインの生み出すリズムが心地よく、牧水らしい愛誦性に富む一首」と言っている。その上でさらにこの歌について「軽やかな思いつきで、ふっとできたような歌、それがとても多くの読者を惹きつけることがある。だが、その『ふっと』に行きつくまでには、かなりのジタバタやぐちゃぐちゃがあり、一瞬の上澄みが歌になった時、思いがけずいい作品が生まれることがある」と実作者の体験を明かしている。
第十一章は「わが小枝子」。牧水はみずからが編集している「創作」(明治四十三年七月号)において「自選歌」を特集している。顔写真入りの十七人の各二十三首である。牧水も発表しており、二十三首の前に「小枝子を歌へる中より」の詞書きがある。じつは私はそのことに気づいていなかったのだが、俵万智は牧水がどうしてこの時点で小枝子の名前を詞書きにしてわざわざ明かしたのだろうかという疑問をいだく。その答えは、牧水のなかで小枝子とのことが終わったからだという考えになるほどと私はうなずく。そして、「『終わった感』を決定づけたのは、やはり小枝子の妊娠・出産だろう」と書く。気持ちのうえではかりに終わったとしても、里子に出した子供の養育費をどうするかなど現実の問題は続いており、牧水は逃れるように信州への旅に出かけている。「かたはらに秋ぐさの花かたるらく亡びしものはなつかしきかな」を初め名歌の生まれた旅だが、俵は名歌の奥のずたずたの生活と心を客観的に描き出している。
第十二章は「若き日をささげ尽くして」。小枝子が東京を離れ「連れられて郷里へ帰る」ことになったと、牧水は明治四十四年三月、親友の平賀財蔵あての手紙に書いている。俵万智は同月号の「創作」誌上の「啼かぬ鳥」の大作から恋の「総括」の歌として次のような作を引いている。
若き日をささげ尽くして嘆きしはこのありなしの恋なりしかな
はじめより苦しきことに尽きたりし恋もいつしか終らむとする
「ありなしの恋」「苦しきことに尽きたりし恋」。五年におよぶ紆余曲折のある恋愛に対し、俵万智は「なんと苦い総括だろう」と言う。そして、注目すべきは「啼かぬ鳥」の次の二首を引いての俵の指摘である。
わがために光ほろびしあはれなるいのちをおもふ日の来ずもがな
ほそほそと萌えいでて花ももたざりきこのひともとの名も知らぬ草
里子に出した子どもを歌った作ではないかと言うのである。「自分のために光を失ってしまったような、そんな哀れな命のことを、思う日が来なければいいが……。これは、里子に出した子どものことを、婉曲に詠んだものではないだろうか」。この二首を取りあげてかくなる発言をしたのは、俵万智が初めてである。「創作」の牧水短歌を一首残らず読みながら、里子に出した子どもの歌がどこかにあるのではないかという心が見つけ出した作にちがいない。「創作」五月号の「松風とわれと」の二十六首の後半についている「以下稲毛の海辺にて」の詞書きにわざわざ目をとめているのもそうだと思う。「稲毛」は小枝子の産んだ子どもを里子に出したところである。里子は結局は死んでしまうのだが、牧水が喪服を借りて里子の葬儀に出たのではないかという、諸資料を読みこんでの俵の推論は説得力がある。みずからも母親である俵が、はかなく世を去ったいとけない子どもを悼む心が伝わってくる。その里子は牧水とのあいだにできた子どもでなく、赤坂庸三とのあいだにできた子どもだったかも知れないのだが。
「エピローグ わすられぬ子」。小枝子と別れた後、牧水は信州出身の太田喜志子と結婚した。健気な喜志子に支えられた生活をしつつ、しかし牧水の心にはいつまでも小枝子が棲み続けていたことを俵万智は書く。そして、別れた相手のその後の幸せを願うタイプと不幸せを願うタイプにわけるとしたら、牧水は前者だと言う。そのことを示す親友の平賀春郊(財蔵)の文章も紹介している。二人が別れた後、牧水が小枝子をたまたま見かけたときの印象的なエピソードである。では、小枝子は牧水のことをどう思っていただろうか。年老いた小枝子に大悟法利雄が直接に会って昔の牧水のことを尋ねる機会があったが、思うような答えは得られなかった。ただ、一度だけ沼津の駅で誰かを見送りに来ている浴衣姿の牧水を見たことがあると語ったという。しかし、そのとき小枝子がどんな気持ちだったかは聞き出せていない。
俵万智は「恋は、いつ始まるのだろうか」と書き出した本書を、「恋は、いつ終わるのだろうか」の一文で締めくくっている。