本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
冒険の世界に新たな可能性を探る

冒険の世界に新たな可能性を探る

文:山極 壽一 (総合地球環境学研究所所長・人類学者)

『極夜行』(角幡 唯介)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

『極夜行』(角幡 唯介)

 植村と同じく、角幡も犬ぞりで極夜に挑んだ。国を背負うことなく、自分のために未知の世界に分け入った。しかし、極点を目指した多くの冒険家と違い、角幡の目的はあくまで極夜を自分の身体で知覚し、その本質を見極めることだった。単独行で頼りになるのは犬だけ。荷物を積んだ橇を見失い、六分儀を無くし、ぐるぐるまわりを強いられ、想定外の出来事が続く。私もアフリカのジャングルでゴリラを追っていて道を見失い、ひとりで夜を明かしたことがある。その時、自分が同じ場所をぐるぐる回っていたことに気づき、唖然としたものだ。人間の方向感覚は実にあてにならないものなのだ。しかし、ジャングルは昼も夜も多様な生き物たちの生気に満ち溢れている。食べられそうなフルーツや、シロアリなどの美味な虫も見つかる。私は片時も一人でいる寂しさや不安を味わうことがなかった。しかし、テントの中に閉じこもった角幡にとって外はブリザードの吹き荒れる氷の世界だ。時折聞こえるのはオオカミの吠え声で、襲われる危険がひしひしと迫る。私は同世代の冒険家である星野道夫がテントで就寝中、ヒグマに襲われて命を落としたことを思い出した。

 そんな中で角幡と犬たちとの交流は実に温かい。用足しをする角幡の肛門に犬が鼻面をつけて糞を食べだす光景は思わず笑ってしまう。ゴリラだって自分や仲間の糞を食べることがある。屋久島では数が増えて食物が不足したシカたちが、サルの後をついて歩き糞を食べている。糞を汚いと思うのは人間だけなのだ。氷原で最も困難を極めるのが食料の確保である。自分だけでなく犬にも食べさせねばならない。手持ちの食料がつきた角幡は力尽きた犬の首を絞めて殺し、その肉を食らうことさえ想像した。もはや銃で獲物を撃つしか望みはなく、キツネと間違えてオオカミを撃ちそこない、麝香牛の死骸に出くわして九死に一生を得る。犬と争って死肉をむさぼり、最終的には犬の死肉を食えば生き延びられると想像した角幡は、それが犬と人間との原始融合状態だったかもしれないと言う。後をつけてくるオオカミとの戦いはまさに原始の頃を思わせる。こうした記述を読むと、人間と犬の絆の深さにつくづく感心する。人類が氷の世界を突破できたのは犬のおかげではないかと思えてくる。

 漆黒の闇の中では自分の身体を見失う。それを私はジャングルで体験した。自分の手も見えない闇の中では、足を地につけていてもまるで身体が宙に浮かんだように感じる。角幡は闇の中で、光は空間だけでなく時間領域でも力を発揮し、未来を見通す力と心の平安を与えてくれることを見出した。月の動きの自在さを女性が持つ儚さ、しとやかさに見立て幻惑されながら闇を歩く。そのとき、角幡の頭をよぎったのは本書の冒頭に登場する妻の出産シーンだったのではなかろうか。難産で絶叫する妻の出産に立ち会った彼は、肉体の内側で胎児という自然をかかえこみ、自然と融合して一体化する行為に比べれば、自身の冒険がいかにも皮相なものに見えたのだ。出産の現場で男にできることなど何もない。そう感じた角幡は、自分一人で自然に向き合える機会をひたすら求めた。そのためには人間界というシステムの外へ出ることが必要であり、極夜行はその絶好の手段だったのだ。

 帰路に嵐の真っただ中で、角幡は妻の体から出てきた子供を思う。闇から出ようとしてもがいている自分はあの時の子供と同じ状態なのではないか。人間にとって光とは出生経験の再来であり、不安と恐怖からの解放であり、だからこそ希望の象徴になっているのだと。もう一つ、私は付け加えておこう。冒険とは帰還してこそ意味のある挑戦となる。システムの外に出た人間が、その体験と新しく得た視点を自ら語り継がねば、それは生きた知識とならないのだ。角幡が生還できたのは妻と子供の存在が大きかっただろうが、私たちにとっても未来につながる大きな宝であり、本書はその道標になるだろう。

文春文庫
極夜行
角幡唯介

定価:880円(税込)発売日:2021年10月06日

プレゼント
  • 『一人称単数』村上春樹・著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2023/02/07~2023/02/14
    賞品 『一人称単数』村上春樹・著 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

ページの先頭へ戻る