- 2021.11.03
- インタビュー・対談
「和田さんゴメン、読ませてお願い!」と手を合わせて…平野レミ、横尾忠則、みうらじゅんが読む「和田誠の日記」
「週刊文春」編集部
17歳から19歳「青春時代の日記帳」を発見
出典 : #文春オンライン
和田誠さんが2年前に旅立ったあと、事務所から発見された6冊のノート。それは和田誠さんが青春時代に記した1953年から1956年の日記帳でした――。
平野レミさん、横尾忠則さん、みうらじゅんさんの3人が、和田誠さんの日記を読みながら、その思い出を語ります。
◆◆◆
平野レミさん「高校生の和田さんと、今になって出会えるなんて」
「和田さんの日記が見つかりました」と事務所から電話があったのは去年の秋のことです。
息子には「日記なんか読んじゃダメだよ!」なんて止められたけど、どうしても気になっちゃって。「和田さんゴメン! 読ませてお願い!」と手を合わせて、ドキドキしながら読んでみました。
17歳から19歳の日記ですから、血気盛んな青春まっさかり。きっといやらしいことも書いてるだろうと思っていたら、読まれてまずいことなんて一個もない! 書かれていたのは、映画と音楽、イラストレーションに明け暮れるキラキラした和田さんの青春でした。
嬉しかったのは17歳の和田さんが、私の知っている和田さんと何も変わっていなかったことです。アル・ジョルスンのレコードを集めて、ジェイムス・ステュアートにファンレターを出して、袋文字もこの時から描いている。
皆さんもよく知る和田さんは、この頃すでに出来上がっていたんですね。私が出会う前の和田さんと、今こうして知り合うことができたのはとっても得した気分。
さらに驚いたのは、試験期間中に3日連続で映画を見ていること。息子も明日から期末試験という時、1日中御茶ノ水でギターを見ていたんです。夜になってやっと帰ってきたと思ったら制服のまま古いギターを抱えて寝ちゃってる!
高校生の和田さんもまったく同じ
これはまずいと思って和田さんに言ったら「これでいいんだ」って。おっかしいわよね、その時は「な~に言ってるのよ」と思っていたけど、高校生の和田さんもまったく同じなんだもん。好きなことをどんどん突き詰めて、どんどん勉強が出来なくなって……(笑)。
でも、好きなことがあってそれを仕事にできたらこんなに幸せなことはない、と和田さんは常々言っていました。現代のお父さんやお母さんに、こういう教育方針もあるんですよって言いたくなっちゃった。
それから60年。和田さんは絵と文章、映画に舞台と膨大な作品を残しました。開催中の「和田誠展」に行ったら、本当はこの50倍作品があるって聞いて驚いちゃった。よく身体も壊さず……きっと私の料理が良かったのね~(笑)。
この日記や私のことを書いた曲まで、亡くなってから見つかったものも沢山。いなくなっても私が寂しくないように、こうやってプレゼントを残してくれたのかなって思います。
横尾忠則さん「僕らの共通項。それは反骨精神だった」
和田くんの日記、19歳の最後の頁に「3万円の蛙 1等が俺だった。ひどくうれしい」とあるでしょう。興和新薬のデザインコンテストなのだけれど、実は僕も応募していて、佳作だったんですよ。和田くんと出会う4年くらい前かな。この時初めて、僕は1等の「和田誠」という男の名を知ったんです。
日記の中で、高校生の和田くんが友達から来る年賀状を一枚一枚克明に模写しているのには驚きました。もっともおかしいのは、一つ一つに短評をつけている。もうすでに評論家ですよ。これがなかなか的確で、そのくせ辛辣で。
多摩美に入ってからは、日本のデザイン史を築いた杉浦非水らのことをクソミソに批判しているでしょう。言ってしまえば時代遅れの先生たちですから、偉いなと思いました。そして何よりそういった反骨精神・批判精神が10代ですでに備わっていたんだと。
僕にはそういった面を一切見せなかったんだけれど、周囲に話を聞くと、彼に怒られた人がいっぱいいるようです。でもね。彼は自分の利益を考えて怒ったりする人じゃなかった。物を言うのは、必ず地位や名誉に執着する先輩や編集者に対してでした。仕事を持ってくる編集者に物を言うなんて、普通は怖くてできないですよ。
僕みたいな環境で育ったハングリーな人間が反骨精神を持つならまだしも、恵まれた環境で育った彼がこうした反骨心を持っているのも面白い。日記を読んでいて、僕とは家庭環境がずいぶん違うなと思いました。毎日映画館に行ってレコードをコレクションして……。
兵庫の田舎にいた僕は、当時LPなんて見たこともなかったから。こうしてまったく異なる青春を過ごした2人が、数年後に出会い親友に近い状態にまでなるのだから、不思議なものです。
ヨーロッパ旅行のスケッチ
和田くんは物にも執着しなかった。いつも荷物は持たずスケッチブックとペンだけ。若い頃一緒にヨーロッパ旅行へ行った時も荷物は少なかった。
旅の途中、和田くんは風景をスケッチして、僕はコースターや看板などのデザインを模写しました。和田くんはそのスケッチにすごく関心を持ってくれたんです。
でもロンドンで乗ったタクシーにそのスケッチブックを忘れてしまったんですよ。それを和田くんは生涯残念がってくれました。彼のスケッチは今も残っているから羨ましいなぁ(笑)。
みうらじゅんさん「もう袋文字だけでもクラクラ」
「和田誠さんに装丁をお頼みしようと思っているのですが」と、本誌連載の『人生エロエロ』が初単行本になる際、そんな畏れ多いことを編集者に言われて困った。
「そりゃ、やって頂けるのなら夢のようですが……」と、その場は返したが、選りに選ってそんなタイトルのカバーでしょ、絶対、これは無理に違いないと思ってた。
「みうらさんからもプッシュよろしくお願いしますね」
後日、編集者の計らいで和田さんとお酒を飲む機会を得た。
たまたま和田さんの展覧会と僕のイベントが仙台であって、その夜、とあるバーで合流したのだった。
僕は夢中で和田さんの御本『倫敦巴里』や『お楽しみはこれからだ』などについて一方的に喋ったのだと思うけど、途中で編集者に例の件を催促され、酒の力もあって切り出した。
すると和田さんは笑いながら「いいんじゃないの」と、まるで他人事のようにおっしゃる。「エロエロですけど、本当に大丈夫ですか⁉」と、僕が上気して聞くと「君は大丈夫なんだろ?」と。「は、はい! ありがとうございます‼」
それから数カ月経ったある日、編集者が和田さんのカバーイラストと装丁を見せてくれた。
マネのマネというシャレたジョーク
今までどんだけ和田タッチをマネてきたことか。いや、どんだけマネたつもりでもその差は歴然だった。しかも、カバー裏には僕がよく描くカエルのイラスト。しばらく自分でも気付かなかったくらいソックリだった。
それはきっと、和田さんのマネのマネというシャレたジョークだったに違いない。あぁ、そんなカッコイイ大人にどうしたら成れるのか?
常々、思ってきたが、今回、その糸口になるであろう単行本が出た。和田さんの17歳から19歳の日記帳である。先ず、表紙に書かれた当時の『だいありぃ』という袋文字に釘付け。
“袋文字とは文字修飾の一種で、輪郭線だけがある文字”なのだが、僕はそれをずっと和田文字と呼んでいる。もう、この頃から完成型ではないか!
和田さんがその時代に『お楽しみはこれからだ』の礎となる映画を存分に観られてたことや、観察眼にブレが無いことなど、リアルな手書き文字で知ることが出来、僕は大きなため息をつきながら天才のマネは無謀だったことに改めて気付かされた。
やっぱスゴ過ぎ!
INFORMATION
◆11月3日からはギャラリー「TOBICHI」(東京千代田区)にて10代の頃の日記を題材とした「だいありぃ 和田誠の日記展」も開催。
◆和田誠さんの17~19歳の日記を手書きのまま書籍にまとめた『だいありぃ』が現在発売中。
◆和田誠さんの仕事の全貌に迫る「和田誠展」が、東京オペラシティアートギャラリー(東京新宿区)にて開催中。会期は12月19日まで。
◆和田誠さんがマザーグースを訳した詩集に、作曲家・櫻井順さんが曲をつけた、120組による全120曲が収録された名盤「オフ・オフ・マザー・グース」が今秋復刻。展覧会ミュージアムショップのほか、全国のCDショップやオンラインで販売中。
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