- 2021.11.17
- 書評
無意思、無思考、無反省。今日も堕ち行く下流大学教員クワコーの強みとは。
文:鴻巣 友季子 (翻訳家)
『ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3』(奥泉 光)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
というわけで、クワコー、学者としての業績はないまま、リクルート参謀本部の幹部「鯨谷光司教授」に気に入られ、取り立てられる。それは大学のゆるキャラの着ぐるみを着て、行事を盛りあげる役割だったりするのだが、第一篇では、大学が開催する「ゆるキャラコンテスト」に関わり脅迫状が送られてきて、命を狙われてしまう……!?
さて、本書が第一篇の初っ端からさりげなく提示するのは、大学と、大手教育産業と、政府機関の陰のつながりなのである。「たらちね国際大学」は志願者リクルートに向けて、「受験生応援プログラム」を立ちあげるが、この手のことに経験のない大学教師ばかりでどうにもならない。そのため、「受験業界大手の『ペネッセ』に頼んで教材を提供してもらい、教室に参集した生徒にドリルをそれぞれやらせて、質問があれば教えるという形に落ち着いた」という。
いわば、塾に丸投げってことですよね。受験生集めのコンサルあたりから入ってきて、そのうち学校の入試問題や教育カリキュラムまでペネッセの商品を売りつけられるのではないか。
わたしがこんなことを思ったのにもわけがあった。本作の単行本刊行は二〇一九年三月、雑誌初出は二〇一八年。現実の世界では、大学入試改革が大揺れに揺れていた頃だ(揺れはまだつづいている)。安倍政権が打ちだした「大学入学共通テスト」(二〇二〇年度開始)には、「英語民間検定の導入」と「国語・数学の記述式問題の導入」が含まれ、強い反対にあっていたのだ。結局、この年のうちにどちらも見送られることになる。
英語入試改革の中身は、従来の二技能試験ではなく、四技能試験(読む・聴く・書く・話す)に切り替えるというものだった。この四技能試験には既成の民間検定を使うとし、英検(日本英検協会は旺文社の外郭団体として創設され、参考書・過去問集などの教材製作・販売は旺文社のシェアが圧倒的)、ベネッセが実施するGTEC、上智大学と日本英検協会が開発したTEAPなどが入試向けに採用された。
民間の教育産業に大学の英語入試が牛耳られてしまうのではないか、という声があがった。民間の検定は受検料が高いため、家庭環境で格差が出る、といった懸念も出た。
要するに、そんな喧々囂々の激論が交わされているときに、「ゆるキャラの恐怖」と「地下迷宮の幻影」の二編は「オール讀物」に発表されたのである。これは、日本の大学と教育産業と政府機関の癒着をひそかに暴くものではないかと、わたしなどは身を乗りだした。
本書でこうした社会批評が炸裂するのは、とくに第二篇の「地下迷宮の幻影」だ。教育勅語を信奉し、ペネッセを急追するライバル組織「JED(日本教育デベロプメント)」とつるんで政府機関を抱きこもうとするタレント文化人「島木冬恒」が登場する。この男は第二次大戦中に設立された陸軍研究所とも父を通して縁があるというから、だいぶきな臭い。研究所には地下壕があり、そこに隠匿された物資があるとか、ないとか。
クワコーは陰謀究明の任を帯びるのだが、彼ほど「任務遂行!」などという意欲と遠い人もいないのである。さらに失敗したからといって、学習したりもしない。
しかしこの意思の無さ、自省の無さというのは、作者によって綿密につくられたものだろう。奥泉光は東京の地霊に語らせた先行作『東京自叙伝』で、日本の近現代の歴史の再検証を行った。戦争や大規模な原発事故を体験しても、「無反省と現状肯定」が繰り返され、日本人が「反省も歴史化」も行わずにきたことを痛烈に批評したのである。同書についてのインタビューで、「(日本人は真の意味で)経験しない=歴史を生きていないとも言えて、天災や空襲の度に破壊と再建を繰り返してきた東京には、何度でも立ち上がれる逞しさと、それとは裏腹なニヒリズムが根底にあると思う。たぶん〈ゴジラ〉を痛快に感じるのもこの破滅願望のせいで、それが我々を蝕む諦観の正体ではないかと」と答えている(週刊ポスト「著者に訊け!」)。
奥泉光は、日本人は「体験」はするが、それが「経験」になっていないと言う。たんなる「体験」は言語による思考と概念化を通して初めて「経験」に昇華するということだろう。
「反省」というキーワードは、本作にも出てくる。卯月嬢に教育勅語に関する「正論」を説かれて、クワコーはこう考えるではないか。
なんてちゃんとしているんだろう! クワコーは感動した。正真正銘、掛け値なしの正論だ。……学生が自分の頭で考えて判断を下せるようにもっていく。そうだ、まさに教育とはそうであらねばならない。日本にもまだこんなまっとうな正論が生きていたのだ! クワコーの心は洗われた。汚れ切った魂をたわしでごしごし擦られ、目からうろこがぽろり落ちて、熱涙の溢れるなか深く反省した。
ついにクワコーも反省するか!と思いきや、悲しいことに、この正論と反省を容れる器が大学にもクワコーにもないのだった。
思想を放棄し流されゆくクワコーには、近現代の日本人の姿が重なるだろう。それでも、そうして流されながら、最後には体制に一矢報いてくれる「名探偵」だ。「あくまで青く、高い」空のもと、キノコの偉大さをことほぎ、もくもくと大根飯を噛む彼の諦念には、厳然たるニヒリズムとはまた違うゆるさの強みがある。無意思、無思考、無反省。長いものに巻かれるようでするっとかわす。クワコーこそ、東京の地霊のけなげな小さき具現者といえるかもしれない。
桑潟幸一准教授は、奥泉光は、やはりスタイリッシュなのである。
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