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なぜ日本は「生きている気」がしない国になったのか? 内田樹が考える“コロナ後の世界”

なぜ日本は「生きている気」がしない国になったのか? 内田樹が考える“コロナ後の世界”

内田 樹

「コロナ後の世界」を考える#2

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #随筆・コミックエッセイ

 今の日本はもう近代市民社会の体をなしていません。私権私財を削って、公共に供託するどころか、逆に、公権力を用いて私利私欲を満たし、公共財を奪って私財に付け替えるような人たちばかりがエスタブリッシュメントを形成している。「そういうことができる」ということが権力者なのだ、そのどこが悪い。文句があるなら、まず自分が権力者になってみろ…というタイプのシニカルな権力観を平然と語る人たちが「リアリスト」を名乗っている。

日本は国際社会から敬意を寄せられない国に

――モリカケ問題から五輪利権まで、公の中心を担う人々が小賢しいスキームを考え出しては自己利益を追求しています。

内田 これはシリアスな亡国の兆しだと思います。豊かで安全な社会で暮らしたいと思うなら、公共財を削り取って私腹を肥やすより、わずかであっても公共のため、他者のために、みんなが「貧者の一灯」を持ち寄って、厚みのある公共を構築することが一番効率的なんです。本当に利己的な人間であれば、短期的には非利己的にふるまうはずなんです。その近代市民社会論の出発点まで戻らないといけないと思います。

 

 でも、今の日本人は公共というのは、「みんなが持ち寄ったもの」とは思っていません。海や山のように昔からそこにある「自然物」のようなものだと思っている。だから、公共財をいくら削り取っても、いくら濫用しても、「分配にあずかれる人間」と「分配がない人間」の格差は生まれるけれども、公共財そのものはいくらでも「食い物」にできると思っている。だから、自分の支持者や友人は公権力を使って便宜を図り、公共財を使って優遇することを少しも悪いことだと思っていない。今、多くの日本人が公人は公平で廉潔であるべきだと思っていません。そんなのは「きれいごと」だと鼻先で笑っている。でも、公人が倫理的なインテグリティ(廉直、誠実、高潔)を失ってしまったら、国はもう長くは持ちません。

 現に、国内ではまだ偉そうにできるでしょうけれど、日本はもう国際社会から「真率な敬意」を寄せられない国になってしまった。もちろん、日本の金や軍事力を当てにして、にじり寄ってきて、ちやほやするところはあるでしょうけれども、それは別に敬意を抱いてそうしているのではない。利用価値があると思うからそうしているだけです。

単行本
コロナ後の世界
内田樹

定価:1,650円(税込)発売日:2021年10月20日

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