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内田樹が語る「コロナ禍という大義名分で“暴力性をリリース”する人々」

内田樹が語る「コロナ禍という大義名分で“暴力性をリリース”する人々」

内田 樹

「コロナ後の世界」を考える#1 

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #随筆・エッセイ

 新型コロナウイルスのパンデミックという未曾有の事態は、日本社会をどう変容させたのだろうか。長期にわたる行動制限下で社会に鬱積したもの、危機的状況下で陰謀史観にひかれる危うさとは? 新著『コロナ後の世界』を上梓した思想家・内田樹さんの特別インタビュー。

 

◆◆◆

コロナ禍によって日本社会の欠点が可視化された

――コロナ後の日本社会を振り返ってみた時、一番変わってしまった点は何でしょうか。

内田 新型コロナウイルスの拡大によって日本社会のあり方が変わったというよりは、もともとから存在した日本社会の欠点が可視化されたんだと思います。すでにあちこちにひびが入っていたシステムの不備が露呈した。

 市民の相互監視もその一つです。休業要請が出ているのに開けている飲食店に嫌がらせをしたり、緊急事態宣言中に県外から来た車を傷つけたりする人たちがわらわらと登場してきた。「いまならそういう私的制裁をやっても許される」と思う人たちが暴力的にふるまうことを「世間の空気」が許してしまった。これはほんとうに危険なことだと思います。

――自粛警察による、“不謹慎な”お店や人に対するSNSでのバッシングも非常に多かったですね。

内田 この1年間、Twitterを見ていても、書き込まれる文章がどんどん攻撃的になるのが観察していて分かりました。怒っている人が多い。起きているのは未知のウイルスによる感染症のアウトブレイクという自然現象なんですけれども、それを人為的な「罪」に読み換えて、「諸悪の根源」たる標的を見つけて、そこに憎悪を集中させるということを多くの人たちが当然のように行うようになった。そして、この疾病について自分と違う考え方をする人たちに対して敵意をむき出しにするようになった。感染症についてという科学的な論点なのにもかかわらず、「自分と意見が違う人間はいくら攻撃してもいい」という正当化を多くの人が行った。

 
コロナ後の世界』(文藝春秋)

 僕たちはずいぶん長い間、ふつうの市民が隣人を告発したり、社会から排除することに加担するという風景を見ていません。僕たちの親や教師たちの世代は、戦中派ですから、人間がどれくらい暴力的になったり残虐になったりできるか、戦地で実際に見て知っていました。ふだんは気のいいおじさんや内気なお兄ちゃんが、暴力をふるうことについて大義名分が立つと平然と略奪し、焼き払い、殺し、強姦するということを目の当たりにしてきた。その男たちもまた戦争が終わると、ふつうの顔に戻って、平凡な市民になった。でも、心の中には底知れない邪悪さや暴力性を抱え込んでいる。それを見てきた戦中派は「人間は怖い」ということが骨身にしみていたと思います。だから、ふつうの人たちが自分の攻撃性をリリースする口実を与えないように、法律や良識や「世間の目」や「お天道さま」がいつも見張っているという仕組みを周到に整えてきた。僕たち戦後世代は、幼い頃は、そういう仕組みをずいぶん微温的で偽善的なものだと思ってみくびっていましたけれど、それは僕たちが間違っていたと思います。

単行本
コロナ後の世界
内田樹

定価:1,650円(税込)発売日:2021年10月20日

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