2019年に惜しまれつつこの世を去った国民的作家・田辺聖子さん。
没後2年が経ち、1945年から47年まで、戦中・戦後の青春期を綴った日記が発見されました。
田辺聖子版『アンネの日記』とでも言うべきこのノートは月刊「文藝春秋」に掲載されると、たちまち新聞・テレビ等で大反響となり、今般、単行本として書籍化されたばかりです。
田辺聖子さんのご遺族で、日記を発見された姪の田辺美奈さんに、発見の経緯と書籍化に秘められた思いを綴っていただきました。
「書き書きおばちゃん」が残した1冊の古いノート
私の母によると、伯母はまだ幼かった私に、自分のことを、
「書き書きおばちゃん」
と、言っていたそうだ。
その言葉どおり、1964年に「感傷旅行(センチメンタル・ジヤーニイ)」で芥川賞を受賞して以来、伯母は次々と作品を発表し、700冊以上もの著書を残した。
60年代後半になると、多くの小説雑誌が創刊されて、新しい書き手が求められ、仕事の注文はどんどん舞い込んだという。政治や文化がすべて東京を中心に語られる時代に、「大阪弁でサガンのような恋愛小説を書こう」と思っていた伯母は、乃里子三部作(『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』)をはじめとする多くの恋愛小説を生み出した。また愛する日本の古典の素晴らしさを若い人にも伝えたいと、古典作品の紹介や現代語訳、古典作品を下敷きにした小説やエッセイも数多く書いている。
今回、思いがけず見つかった「十八歳の日の記録」は、伯母が数えの18歳になったばかりの昭和20年4月から22年3月までの日々の記録である。当時、樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)の国文科2年生。向学心に燃えて入学したが、ほどなく学徒動員で、兵庫県尼崎市の飛行機部品工場で働くことになった。その寮生活の様子からこの日記は始まっている。
日記発見の経緯を簡単に記しておきたい。
伊丹市梅ノ木にある伯母の家の片付けを始めたのは、伯母の没後(2019年6月6日没)、伊丹市から自宅を記念館として公開したいという提案をいただいたのがきっかけだった。リビングと応接間、そして仕事場を公開すると決めて整理を始めたものの、新型コロナウイルスの蔓延で公開事業のめどが立たなくなった。そのうち、豪雨をきっかけに家が少しずつ傷み始めた。伯母が細部にまでこだわって建てた夢の家だったが、40年の時を経て、家自身が主(あるじ)の死と共に終焉に向かっているようにも感じられ、とうとう私たちは家を維持していくことをあきらめたのだった。
家の片付けをしてみて驚いたのは、原稿以外に見つかった多岐に亘る書き物の量だった。
日記、取材ノート、小説の構想、タイトル帳、旅日記、アフォリズム集、献立帳……。気に入ったシールで表紙を飾ったものから、和紙で表紙をつけ、題簽(だいせん)まで貼った凝ったノートもあった。開いてみると、鉛筆の走り書き、万年筆の几帳面な文字、カラフルなペン書きなど、使っている筆記用具や書き方はまちまちで、何かを残すためというよりも、ただ「書く」ことが目的だと感じられるようなありようだった。伯母の書き物の山を前に、一緒に片付けをしていた従姉と、思わず同時に声が漏れた。
「おばちゃん、ようこれだけ書いたねえ」
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