今回、「笑い」というテーマで、具体的なエピソードを含めて書いてほしいというオーダーをいただいたのだが、ということは、哲学的「笑い論」ではなく――たとえばベルクソンの『笑い』を使うといった――、もっと私的に、という意味だろうと受け止めた。すぐ思いつくことがひとつある。それは今でも恥ずかしさがあり、また悪印象を与えるかもしれず書きにくいことなのだが、それでも書いてみることにする。
僕には記憶を遡れる最も古い、幼少期の、最初のブラックジョークがある。
それは、近所で、母の自転車の後ろに乗せられて、ある家でお葬式を行っている前を通過するときだった。お葬式だというのは、たぶん白と黒の何かがあってわかった。
そのとき僕は、「死んでよかったね!」といくらか大きな声で言った。
冗談のつもりである。冗談で言って「みる」というわざとの意識を覚えている気がする。直後、母に大変怒られた(家に戻っても母は機嫌が悪かったと思う)。そのときどういう言葉で怒られたかは覚えていないのだが、亡くなってよかったわけがない、亡くなったら悲しいのだ、という論理である。僕はその常識の論理をわざと逆転させてみて、ひとり可笑しがったわけだ。
誰が亡くなったのかも知らないまま、「ただ言った」のである。自動的に。どの家だったのかも覚えていない。「言おうと思えば言えるから言った」だけである。
僕は、ある興奮状態でそう言った。その家に特別な感情があったわけではない。人間は関係ないのである。ある人間が死んだこと、そのことがあたかも普遍的な人間の消滅であるかのように――言葉が、言葉それ自体が、現実から遊離して自由に運動し増殖するただ言えるだけの「シニフィアン」としての言葉が、興奮によって迸り出たのである。言える! という興奮だ。
親に自転車の後ろに乗せてもらうのが何歳ぐらいまでなのか、僕には子がいないからわからないので、検索してみる。すると、条例で六歳未満までというのが出てきたが、当時はそういう規則はなかったかもしれない、ともかく五歳かそれより小さかっただろう。言語が発達していく途上である。おそらく言っていいことと悪いことの区別もある程度わかっているから、意識的にそれをひっくり返すこともできた。いや、正確には、あえて悪いことを言ったのではない。むしろ、意味を無化したのだと見るべきである。「ただ言えるから言う」というふうに、言語を脱社会化し、ナンセンスにする遊びを突発的に思いついたのだろう。
それは、意味ある悪罵を言うよりもさらなる悪なのかもしれない。つまりそのとき僕は、言葉によってその家の存在を抹消し、人間的事情すべてに対し「我無関係なり」とでも宣言したようなものだからだ。