女性教育者の波瀾万丈な人生
柚木さんの新刊は、自身の母校、恵泉女学園の創設者・河井道(かわいみち)を描いた長編。道に関心をもったきっかけは前著『マジカルグランマ』の取材だという。
「母校のそばに小説の舞台にぴったりの洋館があったのですが、そのお宅はじつは河井道先生の右腕だった一色(いっしき)ゆりさんのご家族の家。私も高校時代、シェイクスピア劇の衣裳を借りに一度お邪魔したことがあったんです」
改めて一色邸の図面を見た柚木さんは、洋館なのに茶室があったり、十畳もの巨大な台所を備えていたりする奇妙な間取りに惹かれたという。調べると、この家は一色乕児(とらじ)・ゆり夫妻が河井道をサポートする目的で、恵泉開学と同時期に建てたものだとわかった。
「広い台所は留学生たちに料理を教えるため、茶室は外国のゲストを歓迎するため、と、すべてが道先生のために設計されていたんです。他人にこんな豪邸を建てさせてしまう河井道ってどんな人だったのかと、俄然、興味がわいてきました。それまでは“ただの偉人”としか思ってなかったけれど、もしや天性の人たらしだったのではと」
コロナ禍もまた、柚木さんを『らんたん』執筆へと後押しした。
「ステイホームを強いられ、身近な人が苦しんでいるのに、やれオリンピックだ、GoToトラベルだと腹立たしいことが続きました。そんな折に当時の資料を読むと、女性の権利を求めて戦う大正昭和の女性の怒りと、私の怒りがシンクロして、道先生の時代と今とは地続きなんだと実感することができた。また、先生を直接知る八十代、九十代の恵泉OGの先輩方が皆、在宅していて、電話をすれば何時間でも思い出話を聞けたことも幸運でした」
伊勢山田の神職の家に生まれながら北海道に移住し、キリスト教教育を受け、アメリカへ留学……という河井道の前半生が面白いのは勿論だが、彼女が恵泉女学園を設立する1929年以降、迫る戦争の影の下、国策と女子教育との狭間でゆれる道を描く物語の後半は圧巻だ。平和教育を咎められ、憲兵に連行されても、「学園だけは楽しく」「それが私たちにできる戦い」だと、生徒たちを鼓舞し続けるのだ。
女子生徒たちが鉄道のトンネル内を歩いている最中、B29の空襲に見舞われた時に、誰ともなく賛美歌を歌い始め、トンネル内に美しい歌声を響かせるという印象的な場面がある。
「OGの方から聞いた実話です。苦しいことが多かったはずなのに、当時の生徒さんに取材すると、皆、口を揃えて『とにかく楽しかった』と言う。だから私も、彼女たちの毎日を、明るく、楽しく描こうと心がけました」
ゆずきあさこ 1981年東京都生まれ。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞、16年同作で高校生直木賞。著書に『踊る彼女のシルエット』『BUTTER』など。