悪趣味とも思える惨劇を、まるで詩を書くように容赦なく叙述する。これこそキングだ。この無残が読者の脳裏に焼き付いてこそ、牧師の哀しみの大きさを実感し、恐怖の電圧王となる物語の流れに乗ることができるのだ。牧師は神を呪う説教で教会を解雇され、このあと成長していく「僕」の人生において、運命の曲がり角ごとに再会することになる。私はすぐにメルヴィル『白鯨』(一八五一年)を想起した。ご承知のごとく、船長エイハブが片足を食いちぎった宿敵・白鯨モビー・ディックを倒す独善的な妄執のため、多くの犠牲者を出す。ただ一人の生き残りであるイシュメールが手記のかたちで回想する、という構造はそのまま本作にもあてはまる。エイハブの狂気の末裔たるジェイコブスにとっての「白鯨」は、家族を失った大いなる悲しみであろう。悲しみを電力に変える。いわば「悲力発電」だ。
十代の「僕」がエレキギターとロックンロールに眼ざめ、バンドを組むという展開が面白い。六〇年代末に若者たちをとりこにしたロックは、電力が啓示を与えたエレキギターという楽器があってこその音楽だった。文字通り彼らは「シビれた」。キングもまたその一人だったのだ。そんなジェイミーが、時代の若者らしく麻薬漬けとなりボロ雑巾のように生きていた三十六歳の時、あのジェイコブス牧師が目の前に現れる。彼は「稲妻の肖像写真」なる雷製造機を使った電撃の魔法を操る興行師となっていた。しかし、彼の手で「肖像写真」を撮られた娘に「何かが起こる」。そして三たび、再会した二〇〇八年「ダニー牧師」と名を改めたジェイコブスは、「聖なる電気」で病人を治療する二一世紀のキリストとなっていた。しかし、治癒した患者たちの多くが後遺症で滅びていく。この謎を追い詰めることが、ジェイミーの使命となる。
電気いじりが趣味だった牧師が、あまりに大きな悲しみを動力に発電し、奇跡(まやかし?)を繰り広げていく。荒唐無稽すれすれの「奇想」にリアリティをもたらすのが、巧みなプロットと克明な描写、そして「電気」というエネルギーを使ったアイデアだ。「電気」は、目に見えず触れず、霊験あらたかな富をもたらす点は「奇跡」に近い。一七五二年、アメリカのフランクリンは凧を揚げて雷から電気を採集した。一七七六年、平賀源内は摩擦による起電機「エレキテル」を復原、その実演は人々の度肝を抜いた。「電気」実用の初期段階には、うさんくささが付きまとい、またオランダでは電気ショックを治療に用いたともいう(「電圧王」ジェイコブスはその体現者であった)。京都・嵯峨「法輪寺」には「電電宮」という電気を祖神として祀る社があるという。「雷神」のごとく、日本には古来「電力(雷)」を“神”として敬う歴史があった。
また、最後の凄まじいカタストロフに向けて、「電気」を「恐怖」と結びつけ物語を強固に増幅させていくのもキングの作家的力量の賜物である。二度にわたる「スカイトップ」と呼ばれる山上での稲妻ショーは「筆舌に尽くしがたい」と言いたいところを、キングは言葉に変えるのだ。「僕」が恋人アストリッドと夏の嵐の中、スカイトップ目指してドライブするシーンが「上巻」にある。彼らは到来する雷の洗礼をそこで受け、初めてのセックスを体験する。恐るべき初体験だ。
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