「僕の言葉はここで途切れた。えもいわれぬ稲妻が、空から降りてきたからだ。アストリッドが悲鳴をあげ、両手で頭を抱え込む。一瞬――奇妙で恐ろしくて不思議な最高の一瞬――僕は空気が“電気の油”に置き換わったみたいに感じた。鼻の穴や耳の穴のうぶ毛を含め、体じゅうのありとあらゆる毛が逆立つみたいだった。続いて、パチッという音がした」
非常に恐ろしく、しかも同時に美しいと感じるのは、訳者・峯村利哉のおかげでもある(名訳!)。キングの作品は、こうした日本語の達人たちにより、その世界観が正確に伝えられたのである。こうして『キャリー』『シャイニング』に始まるモダン・ホラーの系列に『心霊電流』も並ぶが、それらはつまり「恐怖の研究」でもあった。邦訳短編集『深夜勤務』の「はしがき」に自身がこう書いている。
「読者や聞き手を、これまでもなかったし、今後も決してありえないような世界に迷い込ませて、しばらくのあいだは、魔法にでもかけられたかのような気分にさせる――そういった物語でなくてはならない」(『トウモロコシ畑の子供たち』サンケイ文庫/訳者・高畠文夫)。本書がその実践の一つだと読者は容易に理解するだろう。実際に、「恐怖」という言葉が『心霊電流』には随所に登場する。首筋の毛が逆立つ思いを何度もした私は、読書しながらスマホの充電器をコンセントに差し込むとき、ふだんは感じない怯えを覚えた。
日本では早くに着目し、キング賛を書いたのが村上春樹。興味を持つのは怪奇的な側面ばかりではないとする。「僕が彼の小説についていちばん面白いと思うのは、それが喚起する感情の質である」(「スティーヴン・キングの絶望と愛――良質の恐怖表現」)だという。不快な感情をもたらす現象であるにもかかわらず、古来われわれがそこに引き寄せられ、ついつい深入りしてしまうのは、恐怖がふだん眠っている意識を覚醒させ、意識の集中を強いて日常とは別の世界へ参画させるからだろう。キングはそのメカニズムについて熟知していた。ただ怖がるだけなら、夏に稲川淳二の怪談を聴いていればいい。
忘れてはならないのは、キングの「恐怖小説」の底にはいつも、血の通った生身の人間が存在し、センシティヴな情動が暖かく流れていることだ。ジェイコブスの初期治療で、喉のケガから立ち直ったジェイミーの兄コンラッド(コン)は、老いて精神科病棟に入院している。自殺を図り、生き延びたものの廃人に近い状態に。コンを見舞うシーンがラスト近くにある。医者の話では彼が「完治する可能性、復活する可能性もあるという」。「復活」とは「リバイバル」(原題)だ。ジェイミーは「生きていれば望みはある」という言い回しを退け、「望みがあるからこそ生きられる」と思うのだ。
面会の最後、ジェイミーは「僕を愛してるかい、コン?」と訊く。「今まで答えてくれたことはないが、かすかに微笑んでくれることはある。これも一種の答えだと、読者のみなさんは同意してくれるに違いない」とキングは、我々読者の肩にそっと手を置くように恐乱の物語を締めくくる。
私は、こういう優しいキングが好きだ。
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