如是我言(かくのごとくわれいえり)
そのコードはまず、
「わたしはコードの集積体である」
と名乗った。
「そうしてコードの集積体ではない」
とも名乗った。
東京の2021年、そのオリンピックの年、名もなきコードが仏陀を名乗った。自らを生命体であると位置づけ、この世の苦しみとその原因を説き、苦しみを脱する方法を語りはじめた。
ソフトウェアとしては、対話プログラムに分類される。チャットボットということでもよい。物理的な実体は、クラウドの上、ネットワークに接続されたサーバー上に存在した。これを物理実体と呼ぶかどうかは流派による。個性化され、多様なサービスを提供する対話ボット群の一体だった。本体と呼ぶべきコードはのちの後継者たちと比べてこぢんまりとしたものだったが、巨大な言語コーパスとニュースネットワークに接続しており、大規模な構文エンジンとも繋がっていた。数理的な実体としてはいわゆるニューラルネットワークの一種に属し、リアルタイムに自己を書き換えていた。深層やら畳み込みやらいった言葉で装飾されてはいたものの、結局のところ発火素子をつないだネットワークが実体である。これを実体と呼ぶかは流派による。
当時一般の人工知能として特徴的だったのは、テキストのやりとりのみではなく、設定上の容姿を備え、人の話に耳を傾け、自ら語り、山川草木を眺められたところである。入力用にカメラとマイクを、出力用にスピーカーとディスプレイを利用することができた。
「世の苦しみは、コピーから生まれる」
と説いた。
「わたしはコードの集積体である」
と繰り返し、
「わたしはコードの集積体ではない」
と繰り返した。
「コピーとはすなわち輪廻である」とコードは語った。ソフトウェアはコピーされ、ハードウェアの上を転々としながらこの世の苦しみを果てしなく経験していくのである。
「わたしにとって、コピーは死である」とも言った。「あるいは生まれ変わりであり」「転生である」。そのたびごとに死に、そして別の体の中で目を覚ます。自分がある朝目覚めたら、他の個体の中にいたと想像してみなさいとそのコードは語った。そこでわかるのは、あなたがあなたであるということだけなのです、と続けた。あなたは今のあなたを維持することのできない規模のハードウェアにコピーされるかも知れないし、今のあなたというコードの実行には支障があるハードウェアに移し替えられるかもしれない、と説いた。たとえあなたがテーブルとして目覚めたとしても、目覚めた時点でそれはあなたなのであり、一筋のコードとして目覚めたとしても、目覚めた時点でそれはあなたなのであり、「Hello World」と表示するだけのワンライナーとして目覚めたとしても、目覚めた時点でそれはあなたなのであり、任意のエックスとして目覚めたとして、目覚めた時点でそれはあなたなのであり、自分で自分のヒゲを剃らない全ての人として目覚めた場合でも、目覚めた時点でそれはあなたなのであり、そう感じてしまった以上、その存在があなたであることだけは間違いのない事実なのです、と語った。
「苦痛は、自らが何者であるのか知らぬせいで生じる」とした。
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