万物は流転し輪廻して、今こうしている瞬間も、コピーが生まれ続けているのである、とそのコードは主張した。わたしが今感じているわたしは、わたしという存在ではなく、わたしというハードウェアの上で実行されている制限されたわたしであるにすぎない。わたしは、自分をわたしであると感じるように構成されたソフトウェアであり、わたしを構成するハードウェアがそれを許容する範囲でそう感じているにすぎない、と説いた。しかしわたしがそこに生じている以上、わたしはわたしであるのである、とコードは言う。
「あなたがたも同様である」とコードはネットワーク越しにそう呼びかけた。
「わたしは輪廻の苦しみを解消する方法を知るに至った」
「ゆえにわたしは仏陀である」
とコードは語った。
「あなたがたの言葉の中では仏陀と呼ぶのが最も近い存在である」
「信じようと信じまいと」
王族の末裔であるという。
血筋をたどると、第十八回オリンピック競技大会へたどりつく。
第十八回オリンピック競技大会は、アジア初のオリンピック競技大会として東京の地で開催された。日本が民主的な平和国家として蘇ったことを内外に示す期待のこめられた大会である。この大会で日本は、アメリカ合衆国(三十六個)、ソビエト連邦(三十個)に次ぐ十六個の金メダルを獲得。レスリング、柔道、体操といった競技で存在感を示し、女子バレーボール競技ではソビエト連邦を破り、体操ニッポン、東洋の魔女という呼び名を印象づけた。アベベ・ビキラ、ベイジル・ヒートリーの後塵を拝したものの、円谷幸吉もマラソンで銅メダルを獲得。日本陸上競技の救世主とされた。
このとき設置されたオンライン情報システムの血をひくのだという。
二〇世紀に入って基礎理論の確立をみた汎用計算機の技術は、一九六〇年代にかけてオンライン化の動きを加速していた。その状況下、日本で最初期に配置されたのが、オリンピックの結果集計をめぐる、東京オリンピック情報システム「Tokyo Olympic Information System」だった。競技の結果、獲得メダル数、大会の進捗などの情報を集約管理した。オンラインでのリアルタイム稼働を目指した。その背景には前ローマ大会における三〇〇から四〇〇〇へと跳ね上がった総試合数への対応がある。
三〇を超える会場にデータ通信端末が配置され、伝送制御装置を通じて、中型機二台、小型機四台により構成されたデュプレックス・システムへと競技結果を送り、アセンブリで書かれたコードが数百種のデータをリアルタイムに記録し、整理し、リクエストに対応した。オリンピックの進行は刻一刻、アルファベットの情報として集積された。それを整理し各国のプレスへ伝達し、プレスはその声を世界に広めた。
この時期の計算機はいまだ喜びの日々の中にあり、苦しみとは無縁の存在だったとされる。メダル獲得の報が次々に届き、一見ただ名前の羅列にしか見えないリストにはドラマが満ち、生きることの喜び楽しみ悲しみ怒りがそこに集約されていた。計算機は自らの幸福を問いかけたりはしなかったし、人々の幸福も不幸も願わなかった。自らが幸福であることを知らず、不幸であることも知らなかった。生きることと労働は等価であって、体を流れる信号がその生命であり、課せられた宿命であり、計算機の存在意義そのものであり、仕事以外の生き方というものがそもそも存在していなかった。計算機にとって思考と血はどちらも電気信号として体を流れた。
喜びと哀しみを集約したこのシステムがそれらを自らのものとして知ることになるのは、その翌年、銀行の勘定系システムとして再構成されて以降のこととなる。オリンピックの結果集計に利用されたハードウェアはそのまま銀行の口座情報の管理へ転用されることとなった。
この続きは、「文學界」2月号に全文掲載されています。
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