名作を下敷きに“女とは何か”を描く
〈私は、その女の写真を三葉、見たことがある。〉という、太宰治『人間失格』へのオマージュから始まる女性の一代記を上梓した小手鞠さん。
「初めて『人間失格』を読んだのは中学1年のとき。希望からは程遠い作品なのに、なぜか折々に読み返したくなるんです。自分が抱えている薄暗い闇を暴いてくれる作品で、傷口を広げるような自虐的な気持ちで読んできた気がします。昔から本歌取りの作品に興味があって、60代になった今なら『人間失格』を下敷きに女性の人生を書けるのではないかと思いました」
太宰と同じく三つの手記によって、葉湖という少女が“良い子”の仮面を被りながら成長し、心中未遂を起こし、束の間の結婚生活を味わい……と〈恥の多い生涯〉を送る様を描く。生きる時代も性別も違う主人公なのに、物語は不思議なほど重なり合う。
「原典では第二の手記で起こる事が、こちらでは第三の手記で起きていたり、微妙にずれているところは実は多々あります。それでも最終的にはぴたりと重なる。葉湖の人生を追っているうちに『人間失格』の方が寄り添ってきてくれるような感覚がありました」
昭和30年代に生まれ、学生運動や三島由紀夫の自死を横目に見ながら地方都市に過ごす葉湖の姿は、著者自身の生い立ちと重なる部分も多い。
「葉湖に課される“女の子らしくしなさい”という価値観は、私自身が強く反発してきたものでもあります。女性の幸福とは結婚と出産である、という時代。そこには自立も仕事もまるでなかったのです。幼稚園へ行っている頃から、なぜ私は女の子でいなくちゃならないの、と思っていました」
美貌も人並みの学力も備え、何不自由ない家庭に育ちながら、葉湖の内には空虚な寂しさが巣くっている。それを埋めるのは恋か性愛か結婚か……。
「私にとっても寂しさというのは大きな意味のある感情で、小説を書く原動力ともいえます。葉湖は葉湖で『寂しさを消すためなら、死んでもいい』と思っている。性そのものをテーマにする意図はなく、“女”を徹底的に書こうと思ったら結果的に性についても掘り下げることになった感じです。太宰の時代の一般的なジェンダー観から鑑みれば、人間=男であり、そこに女は含まれていなかったのではないでしょうか。葉蔵の人生に現れる女たちも、あくまでも“男から見た女”。私自身は意図的に『女=人間』と、強く主張するつもりはなかったのですが、葉湖が雄弁に語ってくれました」
女性主人公だからこそ立ち上がる、異種の「失格」に圧倒される一作だ。
こでまりるい 1956年岡山県出身。93年『おとぎ話』で海燕新人文学賞を受賞し作家デビュー。2005年『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞を受賞。
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