「少し失敗したからといって、希望を持ち続ける勇気は失ってはいけない」――櫻井よしこの母が残した言葉
朝。
目醒めると母の部屋を訪れます。軽く扉を叩いて入る──母はもういなくなったけれど、それがずっと続いていた習慣だから、「お母さん、よしこですよ」というサインを送るのです。
部屋は母がいたときのままです。
壁には母と一緒に行ったバラ園や桜並木、一緒に訪ねた八百屋さんやお菓子屋さん、皆で賑やかにお茶をしたレストラン、大勢のお客さんと共に祝った七月七日の誕生会の写真などを飾っています。そこには母を中心に、亡くなってしまった兄が元気なときの姿で写っている。兄嫁、姪や甥、お友達、秘書をはじめとする私のスタッフ、介護の人たちもみんないます。
どの写真もみんな好きです。
両脇を支えられて歩く練習をしたときの写真は、喜びに溢れた母の表情を写しています。「いち、に、さん、し、……」、介護の人たちや秘書たちも総出で、拍手をし号令をかけて励ましました。母は、ドクターに寝たきりになってしまうと言われたのですが、そんな暗い見通しを、自らの努力でひとつひとつ吹き飛ばしていきました。
皆の拍手に合わせて、居間の一番奥のソファまで、母の部屋から六十歩から八十歩を歩く。歩く。歩く。そして遂にソファに辿り着いたとき、誇りに満ちたよい表情を見せてくれるのです。達成感に溢れた笑顔です。
もう一枚は、テーブルについて、真剣な顔で食事をしているときの写真です。
母はくも膜下出血と髄膜炎を患い、ドクターから歩くことも含めて自分で行動することは難しいと言われた「病人」でした。けれど決して諦める人ではなかった。左手に小さな器を持ち、右手でお箸を持つ母のその右手の動きに、私をはじめ皆が息を吞む気持ちで集中したときのことを想い出します。ここまで回復するなんて、奇跡です。
明るく前向きな母は、母の真髄が詰まったたくさんの言葉を私に残してくれました。
「どの人も皆、神様に愛されて生まれてくるのよ」と母は言いました。「どんな人も幸せになるように生まれてくるのだから、決して人の不幸を願ったりしてはいけない」と戒めてくれました。
「人間に生まれてきたからには、その人その人に天から与えられた使命があるのだから、自分の希望や夢を大事にするように」と言い、「少し失敗したからといって、希望を持ち続ける勇気は失ってはいけない」とも教えられました。
「目標を達成するには努力が必要で、努力は実は皆がしていること。その中で他の人とは異なった成果を上げたいのなら、一日は誰にとっても二十四時間しかないのだから、そのつもりで時間を無駄にせず、努力しなければならない」とも教えてもらいました。
「人間関係は鏡に映る自分の姿そのものなのだから、うまくいかずに悩んだらまず自分を見つめることが大事だ」とも諭されました。「よいことも悪いことも、源は自分にあることをわきまえなさい」ということです。
言われてみれば、どれも真実で、どれもどこかの本に書かれている内容です。どの家庭でも親が子供に言い聞かせるであろうことを、母は言い聞かせてくれました。そして、母は自分の言葉を実践してみせた人でした。
本書でも少し触れているように、母は苦労の多い人生を歩みました。
しかし、あらゆる苦労を明るい気持ちで乗りきった人でもあります。諦めずに努力し、大事な時には大英断を下した。そうした母の姿を見ながら私は育ちました。
(「完全版に寄せて──心の一番やわらかいところに母がいる」より抜粋)
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