感染症に挑んだ男たちの栄光と蹉跌
コロナ禍を受け、「感染症学」に注目が集まるなかで、医師でもある著者が、明治時代に日本の衛生行政を樹立した二人の巨人、北里柴三郎と森鴎外の知られざる物語を描いた。
「北里といえば、破傷風の治療法の確立やペスト菌の発見、日本医師会の初代会長を務めるなど、医学界ではその功績を知らない人はいません。2024年には新しい千円札の肖像画にも採用されます。この巨星のことはいつか、小説として描いてみたいと思っていましたが、北里は自分に関することをほとんど綴らず、人物像がなかなか浮かび上がってこなかったのです。
そこで、周辺の人物から北里に光を当てようと調べていたら、軍医の鴎外との間に、意外に接点が多いと気が付きました。東大医学部では同じ寄宿舎、留学先のドイツ・ベルリンでは一年間コッホ研究室で一緒に過ごしているのです。資料を追うと、『強く惹かれあったがゆえに、二人の間に確執が生まれた』という状況が浮かび上がってきたのです」
今年、没後百年を迎える鴎外には、文学者としてフォーカスが当てられている。彼が陸軍軍医の最高位・軍医総監に上り詰める過程を描いているパートも新鮮だ。
読みどころは、二人の「医学者」の「栄光」だけではなく、「蹉跌」にも踏み込んでいる部分。北里と鴎外が活躍した明治時代の三大疾病はコレラ、結核、脚気だった。
北里は、何度も大流行し、致死率が高かったコレラの制圧に貢献した。だが結核の治療薬として、ツベルクリンを選択し続けるという過ちを犯している。師であるコッホが、「ツベルクリンによる結核治療」にこだわったことに影響されたのだ。
鴎外は軍医として、脚気の原因が米食にあるという海軍の高木説に反対し続けた。このため日露戦争で、陸軍に脚気が蔓延し、多くの兵士を損じた要因になった。
「偉大な二人の医学者を糾弾するつもりはありません。医学が未熟だったあの時代では、仕方がなかった。でも、業績にスポットライトを当てるだけでは、人物の実相は見えてきません。物事に光と影があるように、その人物の『負の部分』を書くことで、人物像が立体的に浮かび上がってくるのです。そこに天敵(ライバル)がいると、一層、彼らの輪郭が明瞭になっていくのです。
北里と鴎外が全身全霊で激突し合うシーンは、描いていて楽しかったですね。喧嘩するほど仲がいい、なんて言ったら、二人から怒られてしまうでしょうね(笑)」
かいどうたける 1961年千葉県生まれ。医師、作家。『チーム・バチスタの栄光』で第4回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、作家デビュー。近著に『コロナ狂騒録』。