切腹ということならば、ちょうど三十年前のことだった、伊藤さんからその話を聞いたのは。場所は熊本。私も伊藤さんも夫の仕事の関係で熊本に移り住んだばかりの余所者で、子どもは同じ保育園に通い、そのうち私も伊藤さんも夫とは離別して、それぞれに熊本を離れ、伊藤さんは新たな夫の住むカリフォルニアと熊本とどこかをぐるぐる巡るような、いつもどこかから何かへとトランスするような、落ち着かぬことそれ自体が落ち着き場所のような暮らしへと移り変わってゆくのだが、そうなる前の、そのときの、切腹を語る伊藤さんの声は上気して舌なめずりさえしているようで、それがそのときの私には少し怖くて、かなり眩しかったのだった。何が眩しかったかといえば、その頃、夫しか頼る者のいなかった熊本という異郷の孤独に四六時中呆然としていた二十代の私は、六歳年上の伊藤さんの、体感にして風速50米の勢いで噴き出してくる言葉にすっかり圧倒されて、そのうえその吹きすさぶ風に「あんたは覇気がない」と言われた、そのときの頬を打たれるような思い。そうだ私は覇気がないのだ、と伊藤さんにアイデンティファイされたことへの妙な安心というのだろうか、アイデンティファイされた悲しみというのだろうか、私をアイデンティファイした人へのひそかな畏れというのだろうか、私自身、その心持ちは混沌として説明不能、そんな混沌をいまだに心のどこかに宿した私は、実のところ、この『切腹考』を読むのが、ひどく恐ろしかった。書名からゆらゆらと不穏な気配が立ちのぼる。
あらためて、切腹。と言えば、三十年前、私は伊藤さんの話をこんなふうに受けとっていた。刀がグイッと差し込まれる、女がウンと唸る、その刹那の苦しみと歓びを伊藤比呂美が妄想してウンと呻く、血の匂い、死の気配、切腹のファンタジー? カタルシス? オーガズム?
ごめんなさい、呆然として覇気のない私は全く気がついていませんでした、『切腹考』を読んでようやく思い知った、風速50米の哀しみ。あの頃から、もうずっと、伊藤さんは溢れんばかりの死の欲望を、溢れかえる生への執着を、自身の腹の中に隠し持つ夥しいナニカを、もてあましてジタバタして、この腹を切りさいてやろうか、曝け出してやろうか、声をあげたりのみこんだり毒づいたりしながら、そういう一切合財を他の誰でもないおのれの言葉にトランスレートする、言葉を吐き出す、吐き出しては生き返る、ないしは、伊藤さんの言葉で言うなら、再生を排泄する、そういう時間を、土地から土地へ、人から人へ、言語から言語へ、息苦しい定型からたゆたうリズムへ、トランスを繰り返しながら二十年、それはすべてを放り出して逃げた末の、文化や言語の狭間でのたうちまわる境涯への二十年であり、死屍累々の二十年である、ついには、旅の身のhomeへの思いをかけた熊本で地震が起こり、カリフォルニアで二十年連れ添った年老いた夫は死骸になり果て、そして、いまだ終わらぬ旅の途上に一巻の語り物、『切腹考』。