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第1回 精神のゲーム、ボウリング
波木銅
いいか、依子。ボウルを投げた瞬間に結果は決まっている。手を放すタイミングに角度、スピード。物理の法則だ。それでもわたしたちは期待する。何本倒れるだろうかと。
(呉勝浩『雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール』)
アプローチに立つ。助走をつけ、手からボールを放す。それは上手い具合に真っ直ぐレーンを転がり、ピンにぶつかったように見える。しかし、回転かスピードか、なにかが足りなかった。三角形を構築する十本のピンのうち、最奥の左右二本が残る。スコア表にはマルのついた「⑧」と記録される。
スプリットだ。このピンの残り方は、ボウリング用語で「セブン・テン」や「スネークアイ」、日本語では横にふたつ並んだ見た目から「門松」とも呼ばれる。ここからスペアを取るのは熟練したプロ選手でも非常に難しいという。達成できるのは確率にして一パーセント以下。最高スコアの三百点を出してパーフェクト・ゲームを決めるより難しいらしい。
だからここは冷静に、一本を確実に倒すべきだ。ゆっくりと、狙いを定めて、左端のピンをめがけ……。
ガコン、と、ボールはガターへとむなしく落下した。一投目に残したピンを二投目で倒せなかった場合、スコアは「ミス」となり、「−」と記録される。
この「⑧」と「−」が並んだスコアは俺という人間のメタファーか? いつも詰めが甘く、肝心なところでしくじる。そして、そのミスの尻拭いさえロクにできない!
だがゲームはまだ続く。次、自分の番が回ってきたら、今度こそ、すべてのピンを薙ぎ倒してみせる……。そう決心して、ふたたびボールの穴に指をハメる。
◆なぜボウリングに惹かれるのか?
いつか、ボウリングについて書きたいと思っていた。
茨城の寂れた地方に住んでいた十代の頃、「殺風景」そのもののような土地にかろうじてあった数少ないエンタメのひとつがボウリングだった。私が生まれるよりずっと前にあったというブームのと残滓して鎮座する、薄暗いボウリング場で闇雲に球を転がしていたことを覚えている。当時はレーンに並んだピンをそのとき抱えていた「退屈さ」の象徴とみなし、それを蹴散らすことを爽快に感じていたのかもしれない。
上京し、成人してからは、コーエン兄弟の映画『ビッグ・リボウスキ』みたいに仲間内でアルコールを味わいながら投げるという楽しみ方もできるようになって、より入れ込むようになった。今も、久しぶりに会った友人と遊ぶときにしろデートのときにしろ、とりあえずボウリングに行けばいいと思っている節がある。今のところそれで失敗したことはない(はずだ)。
私はシンプルな娯楽としてボウリングを享受してきたが、もっと深いところまで触れてみたくなった。れっきとした競技として、本格的に打ち込んでいる人々もいるわけだから。「競技」、ないし「文化」としてのボウリングについてクローズアップしてみたい、と思い立つ。
編集部にも協力を仰ぎ、実際に二名のボウラーに話を聞いてみることにした。
一人目は、スポーツ誌『Number』編集部の朴鐘泰氏。彼は矢島純一選手に師事する現役のプレイヤーだ。矢島選手は、実に四十一回という公認トーナメント優勝経験を持つ日本ボウリング界のレジェンドで、この記録は国内最多だという。おまけに日米通算公認パーフェクトを三十回達成。七十六歳にして現役のプロボウラーでもある。
同誌でボウリング特集を組んだことをきっかけに、本格的に競技シーンに参加するようになったという。彼のホームである中野サンプラザボウルに案内していただいた。
フロントに入ると、場内に響く賑やかな音が耳に入る。投げられたボールがレーンを転がり、小気味良くピンを薙ぎ倒す音。グループ客の楽しげな声。これもボウリングに行く醍醐味だよね……とかしみじみ思っていると、そこからひとつ下の階層に案内される。階段を下りると、ボウラーたちが練習や試合に用いるための、もうひとつのレーンがあった。
上階を私たちのような一般客が見様見真似で球を転がしてはしゃぐ用のフロアだとすると、下階はマイボウラーたちが真剣にボウリングと向き合うフロアだ。試合や練習に使用される、コンディションの整ったレーンで投げさせてもらいながら、朴氏に競技としてのボウリングの真髄を尋ねる。
「ボウリングの上達に必要なのは三つ、『再現性』、『継続性』、そして『客観性』だと思います」
朴氏はそう解説してくれた。
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