コロナ禍の第6波をむかえた2022年1月。私は、本書の「ゲラ校閲」を確認するため、紀尾井町の文藝春秋でカンヅメになりました。なりました、と書きましたが、実を言うと、一度でもいいから、カンヅメになってみたいという願いがあり、自ら申し出たのでした。私は、銀座一丁目駅から、有楽町線に乗って、麹町駅で下車して、紀尾井町の文藝春秋に向かいました。玄関に入ろうとすると、左側に、文藝春秋の社員で作家であった半藤一利さんの本を紹介するポスターが貼ってありました。それを見た私は、かつて銀座3丁目のギャラリーで、半藤一利さんに挨拶したときのことを思い出しました。そこで半藤一利さんは自作の絵を展示していました。
文藝春秋の建物には、カンヅメ用の部屋が2つあり、私は、その1つに入りました。文藝春秋の校閲には驚きました。なんと紙に出力された資料の束は、目測ですが、7㎝はありました。夜通し、その一つ一つを確認していると、銀座6丁目にある、喫煙具と煙草の専門店「菊水」に関する資料がありました。事前に半藤一利さんのことを考えていたからに違いありません。菊水という文字から海軍のイメージが浮かんできました。菊水は、楠木正成の家紋。皇室に功績があって、菊の御紋を下賜されたものの、それは畏れ多いということで、半分を水に流して、半分をいただいたという古事があるようです。菊水紋と言えば、映画「男たちの大和/YAMATO」で戦艦大和の乗組員が、腕に、菊水紋を巻いていました。海軍の軍人には、より意味のある紋だったのでしょう。銀座の隣の築地は、戦前、海軍の拠点があったから、きっと、海軍の軍人も銀座を歩いていた。そのとき、「菊水」という文字を見たら、そこで煙草を求めたくなりはしなかっただろうか。あったかもしれない昭和の銀座の一場面を思い浮かべました。
銀座3丁目のギャラリーで展示されていた半藤一利さんの作品は、芥川龍之介が隅田川について述べた言葉からイメージした絵でした。文藝春秋を立ち上げたのは菊池寛ですが、芥川龍之介が菊池寛に原稿を渡すとき、よく銀座の喫茶店のパウリスタを利用していたそうです。
2022年3月。この本の表紙の念校を終え、文藝春秋の編集者に渡した私は、銀座8丁目のパウリスタで珈琲を飲んでみました。芥川龍之介が鬼籍に入ったのは、日本で初めての地下鉄が開業した1927年(昭和2年)。その理由となった「ぼんやりとした不安」が、何のことかはわかりませんが、コロナ禍よりも、何よりも、戦争はダメだということはわかります。そう思いながら、銀座通りの往来を見つつ、あたたかい珈琲をいただきました。