2022年、文藝春秋は百周年を迎えます。大正12年(1923)1月に当時、大人気作家だった菊池寛が私財を投じて創業しました。
春風亭小朝さんは落語界の第一人者でありながら、「菊池寛×落語」の試みを続けてこられました。その集大成でもある『菊池寛が落語になる日』(文藝春秋)が、1月11日に発売されました。
2019年に菊池寛賞を受賞された浅田次郎さんは、以前から小朝師匠のファンだと伺っており、今回はおふたりに、菊池寛の小説の凄さについて、じっくりと語っていただきたいと思います。
浅田 まずは師匠のこれ、菊池寛のリスペクト落語、とても素晴らしい企画だと思いますよ。
小朝 ありがとうございます。
浅田 菊池寛の短編と落語っていうのは、ちょっと結びつかなかったな。
小朝 最初は僕が3月6日生まれなんで、どんな方がいるのかって調べていたんですよ。そしたら、3月6日に亡くなった方の中に、菊池寛さんのお名前があって、ご縁があるかもしれないと思って短編集を読ませていただきました。
浅田 なるほど。
小朝 だんだん読んでいるうちに、興奮してきまして、これ、落語になるんじゃないかって感じで、1気にいっちゃいましたね。
最初の独演会(2016年4月)の前に記者会見を開きました。スポーツ新聞も含めて十社くらい来てくださったんですけど、ほとんどの記者は菊池寛の作品を読んでいませんでした。戯曲「父帰る」は知っているし、「恩讐の彼方に」や「真珠夫人」も有名ですよね。で、短編小説の話を僕がしましたら、「今度読んでみます」っていう話になる。読んでないから、わからないようで。
その後みなさん、お読みになって、おもしろいってことに気がついたんです。僕の落語会「菊池寛が落語になる日」にも来てくださるようになって、多少は増えましたね、読者が(笑)。
浅田 いまの話を聞いてますと、菊池寛って、作家としては地味なんですよ。短編小説は名作ぞろいです。長編小説も多くて、一時代を画した流行作家ですからね。あんまり長生きなさらなかったというのは、ひとつの理由かもしれません。亡くなったのは、59歳ですか。
小朝 そうですね。
浅田 作家としてのイメージが地味だというのは、たとえば写真ひとつ見ても、お顔がね(笑)。芥川龍之介って、あの麦わら帽子にタバコをくわえている写真とか、すごい得している感じがするんですよ。川端(康成)さんも得している。小説家の顔として。
小朝 確かに。
浅田 小学生のときに思っていたのは、音楽室で一番損しているのはバッハで、得しているのはベートーヴェン(笑)。菊池寛は芸術家としては損しているかもしれないけれど、偉かったのは小説家の支援者であったということでした。これはもう大功績です。
今も昔もそうだけど、小説家って一人前になるまでに挫折しますよね。みんな貧乏なんです。そこからブレイクするまで、一段ずつ上がっていくやつなんていない。誰がメシを食わせてくれるかっていうと、いい家の子は得です。昔の作家って、すごい高学歴の人がそろっていました。いい大学に行ったっていうのは、実家にお金があるってことで、他は死屍累々なわけです。
菊池寛は、芸術にはパトロンが必要だっていう大原則を知っていたわけで、才能のある若者を育てました。たいへん立派な方だったと思いますよ。
小朝 僕はね、落ち込んでいる人に大金を渡してあげたっていう話が好きなんですけど。
浅田 旦那気質(かたぎ)なんだね。
小朝 なぐさめるよりも、お金を渡したほうが早いですよ。これで気晴らしなさいって、どんなに救われるか。
浅田 なんでもいいよって、太っ腹でぽんとお金を出して、面倒をみたんですね。そういう旦那という種族は、死に絶えたと思います。
菊池寛は競馬好きで、将棋も麻雀も好きでした。『文藝春秋』や『オール讀物』を創刊して、今も続く芥川賞と直木賞をつくりました。でもね、小説を読んでいると、そんなに剛毅な人とは思えない。わりと繊細な人のような気がします。
小朝 かなり繊細でしょう。
浅田 菊池寛の小説の主人公って、すごい迷いますよね。ウジウジと考えるじゃないですか。私小説っぽい話が多くて他人事として書いていない。あの太っ腹なところって、ポーズだったのかなって思うんですよ。
小朝 そこがおもしろくて、落語にしようと思ったんです。今までの落語っていうのは、ほとんど深層心理を追求しません。菊池さんの小説は、心の襞(ひだ)に入っていきます。ちょっとした心の動きにクローズアップしますよね。