男性は、同行者もいなさそうなアジア人がいったいどういう理由でいまそんな言葉を翻訳するのか訝しんだのだったろうが、カートに大きなスーツケースをふたつ載せた彼の方もやはり同行者はなく、表情のジェスチャーは誰に向けたものでもなかったし、それを目にしたひとは誰もいなかった。彼は、妙な奴がいるぜ、と思ったに過ぎないのかもしれないが、エレベーターを出てそれぞれ別々の方向へ荷物を引いて別れたあと、しかし自分だってときどき、俺はクレイジーだ、とたいした意味もなく呟きたくなることはあるかもな、と思った。こんなふうに長いフライトを終えて旅先のエアポートに到着した直後なんかは、そういうときかもしれない。と思いを継げばさっき横にいたアジア人に急に親しみがわいてきた。彼は、もう窓目くんの姿も見えなくなっていたが、さっきの自称クレイジーなアジア人に向かって心中で、よい滞在をブラザー、と呟いた。
エアポートから乗ったピカデリーラインは車体の上部が丸くなっていて、蒲鉾のような形をしている。トンネルの上部も同じ形をしているから、トンネルに入るとトンネルの天井と車体の天井とがすれすれになって、車両がトンネルを抜け出るときに、窓目くんは蒲鉾が抜き型から押し出されるみたいな様子を思い浮かべた。電車はトンネルに入っては抜け、またトンネルに入っては抜けた。外は雨が降っていて、蒲鉾型の車体は、駅に着いてドアが開くと雨が降り込んだ。蒲鉾はmashしたfishだ、と窓目くんはロンドンのひとびとに、そしてシルヴィに内心で語りかけて英語で蒲鉾の説明を試みはじめたが、間もなく自分が思い浮かべていた抜き型でつくられるのは蒲鉾ではなくところてんだったと気づいた。ところてんはfishでなくseaweedだ。seaweedをboilして、煮汁を固めるんだろうか。それをwoodboxに入れて、other sideへpush outすると、細く断裁されてところてんになる。という製法の理解で合っているだろうか。ところてん、とスマホの検索窓に打ち込んでみると、ところてんは漢字で書くと心太だ。これまた難しいが説明が必要か。heartがfatなのか、もう少し抽象的な太さだろうか。thickの方がいいだろうか。あるいはstrongとか。俺は学生の頃から長距離走が得意だから心肺機能はstrongな方だ。調べてみると窓目くんが思い浮かべたところてんの製造工程は概ね正しかったが、ところてんとしては冷えて固まった段階でもうところてんであり、あの棒で押し出す作業はあくまで食べ方のアレンジに含まれるのかもしれない。そんなことよりところてんといえばアッパのイディアッパムだ。本当のところ、窓目くんは蒲鉾でもところてんでもなく、トンネルを抜けるピカデリーラインにイディアッパムを想起していたのかもしれない。
この続きは、「文學界」5月号に全文掲載されています。