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杏のルームシェア相手は、「盗み屋」の祥子。杏が彼女に盗んでほしいと依頼をしたものは…

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

別冊文藝春秋 電子版43号 (2022年5月号)

文藝春秋・編

別冊文藝春秋 電子版43号 (2022年5月号)

文藝春秋・編

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「別冊文藝春秋 電子版43号」(文藝春秋 編)

Prologue

 まずは、守橋祥子の紹介をしよう。

 彼女は私のルームメイトで、アルバイト先の先輩でもある。

 二四歳、神戸市在住。背はすらりと高く、顔立ちは中性的で美しく、艶やかな黒髪のショートボブはポップアートのような趣がある。装飾の類は好まず服装もシンプルなものが多く、普段はコンタクトだが就寝前には赤いフレームの眼鏡をかけている。読書は少年誌に連載されるコミックを読む程度で、テレビ番組はナイター中継を好み、しばしばシャワーを浴びながら何世代か前のヴィジュアル系バンドの楽曲を熱唱している。趣味は食事とパズルとB級ホラー映画の鑑賞、特技は数多で本人曰く「興味を持てればたいていなんでも」、一方で苦手なものは蛇と冷房と地図を読むこと――最後のひとつは、ろくに確認しないまま自身の感覚を頼りに歩き出す癖があるのが原因だ。

 そして彼女はカレーを愛する。とくに私たちが働く「骨頂カレー」の看板メニュー、スペシャルチキンカレーを絶賛している。そのあまりの褒めっぷりに、私も同じ店で働くことを決めたほどだ。

 けれど祥子が愛するのはあくまでカレーを食べることであり、作る方――骨頂カレーでのアルバイトにのめり込むつもりはないらしい。彼女にとって、そのアルバイトは副業でしかないのだ。本業は別にある。

 そして彼女の本業で、私たちが依頼人と請負人の関係になったのは、中秋の名月が間近に迫った九月のことだった。

 その夜、私たちはルームシェアしている小さなマンションのリビングで、ローテーブルを挟んで座り込み、チリ産の安い白ワインで晩酌を楽しんでいた。

 私が大雑把な調味で用意した肴は、だし巻き卵や煮たひじき、炙って生姜醬油をかけた油揚げという日本酒が合いそうなラインナップだが、白ワインとの取り合わせもなかなか良い。というか自信を持って良い悪いを仕分けられる舌がないから、あれもこれもみんな良いことにすると決めている。

 祥子と共に白ワインと醬油のマリアージュに舌鼓を打ちながら、一本七二〇円のワインを褒め称えているうちに、話題がだんだんと高級ワインを槍玉に挙げる流れに移り変わった。私たちは「酔っ払いの戯言」を言い訳に、遠く遠くのセレブリティな世界にのみ存在するという法外に高価なワインについて、無根拠な雑言を並べた。

 ヒートアップした祥子が高々と宣言する。

「だいたいね、どれだけ高いワインだって、ホットココアより美味しいわけがないじゃない!」

 それは激安なのに美味しい手元のワインにも申し訳ない言い草ではあったけれど、ワインの方には傷つく心もないだろう。私は「その通り!」と乱暴に同意した。

「初めてココアを飲んだときには、私もずいぶん感動したものです」

 そう頷いてみせると、祥子はワインを傾けながら言った。

「いいねぇ。そういうの、ちゃんと覚えてて」

「そうですか?」

「やっぱさ、たいてい最初がいちばん感動するわけじゃん。感動って、覚えてた方が得でしょ」

「かもしれませんね」

「私は思い出せないな。幼稚園のころかな。――ミロってココア?」

「さあ。喫茶店でココアを頼んで、ミロが出てきても許せますか?」

「ん。ギリセーフ」

「おや寛容」

「だって美味しいもん。で、いつ飲んだの?」

「ミロ?」

「ミロでもココアでも」

「ココアなら、九〇年くらい前ですね」

「そっか」

 昭和の初期ねと祥子は言った。

 さて私は今年、二三歳になった。祥子のひとつ年下だ。けれどそれは今世の両親から岡田という姓を受け継ぎ、杏という名を与えられたこの肉体の歳でしかない。精神的には千年ほど生きている。

 これには壮大な――というほどではないけれど、令和を生きる人々には信じ難い、荒唐無稽な理由がある。

 千年前の平安の世で、ひと組の男女が恋に落ち、ふたり仲良く手を繫いで死んだ。

 死因は溺死だが、これは事故でもなければ心中でもない。強いていうなら神罰である。

 ちょっとした水神に懸想された女は、しかし男と添い遂げるために、その神さまを振ったのだ。それに怒った水神は川を氾濫させた。男は巨大な龍のようにうねりながら暴れ狂う川に呑み込まれ、振り回され、そして助けに入った女と共に命を落とした。

 手を握ったまま命を落とすふたりをみていた水神は、こんな風に思ったそうだ。

 ――なんだ、つまらんことで死にやがって。愛なんてものはまやかしだ。みんな夢と幻だ。我はずいぶん長々と人の世をみてきたが、真の愛なんてもの、終ぞみかけた試しがない。

 水神にしてみれば、振られた挙句に男をとっちめようとしたら女まで一緒に死んでしまったものだから、嫉妬と後悔で狼狽していたのだろう。そこで水神は、ふたりの魂に呪いをかけた。あるいは救いを与えた。

 ――我が己等を試してやろう。水の流れは輪廻に通ずる。千年も万年も、揃って生を繰り返し、幾度も袖を擦り合わせるが良い。だが己等が結ばれることは決してないのだ。その仮初の愛が消えるまで、とめどなく続く生の檻に、我が己等を封じてやろう。

 輪廻転生の始まりである。

 水神の言葉の通りに、男と女の魂は幾度も幾度も生まれ変わった。生きては死に死んでは生き、出会っては別れ別れては出会い、それを繰り返しながら決して結ばれることがない。永久に未完の愛の輪廻に囚われた。

 ふたりの生にはルールがあった。

 男は生まれ変わるたびに輪廻を忘れ、しかし女の生まれ変わりを愛したとたんにそれを思い出す。女は逆さで、輪廻を覚えたまま生まれ変わり、しかし男の生まれ変わりを愛したとたんにそれを忘れる。

 そしてふたりは、あらゆる時代を生きては死んだ。

 農民になり商人になり画家になり音楽家になり罪人になり、獣になり鳥になり魚になり虫になり草花になり、出会いと別れを繰り返した。

 彼方は此方を覚えたまま生まれ、此方は彼方を忘れたまま生きる。やがて此方は彼方を思い出し、そのころ彼方は此方を忘れる。

 それが螺旋状にくるくる繫がり、ずいぶん長い時間が経った。


この続きは、「別冊文藝春秋」5月号に掲載されています。

別冊文藝春秋からうまれた本

電子書籍
別冊文藝春秋 電子版43号 (2022年5月号)
文藝春秋・編

発売日:2022年04月20日

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