激戦の志賀島戦を経て、元軍を壱岐にまで撤退させることに成功した河野家。
しかし河野家への幕府の処遇は冷酷なものだった――

　弘こう安あん五年（一二八二年）、春。
　相模さがみの国くに片かた瀬せに、地鳴りの如き念仏の大合唱が響いている。念仏の調子を導く鉦しょう鼓こも鳴っている。その甲高い音は、人の声にはなかなか紛れないのだが、今日ばかりは霞んで聞こえた。唱える念仏に狂いなどない。どの者の口も、ぴたりと同じ動きをしていた。
　人々は往来に見渡す限り溢れ、絶え間なく足を動かし、肩と肩、腕と腕が擦れ合い、仲春だというのに常夏の如き熱気が巻き起こっている。声と熱、二つが入り混じって、蒼そう天てんを衝つくほどに立ち上っていた。

　一昨日、一いっ遍ぺん一行は鎌倉に入ろうとしたところ、巨こ福ぶく呂ろ坂ざかで御家人に止められた。その口からは、
　——得とく宗そう家け。
　つまり鎌倉幕府執権北ほう条じよう時とき宗むねの意向だという。御家人たちに指示を出し、己たちの鎌倉入りを阻止させたのであろう。いや、
　——あの場に時宗はいたのではないか。
　と、一遍は推し量っていた。

　一遍の前に立ちはだかった御家人たちは時折、背後を盗み見ていた。当人たちは気付かれていないつもりだろうが、一遍の目には明らかである。視線の先には、板屋根、板塀の何の変哲もない家屋があった。
　家の中に気配を感じる。一度だけだが人影も見た。
　踊おどり念ねん仏ぶつの噂はすでに鎌倉にも届いているはずだ。時宗は、自らの目でそれを見たいと、密やかに足を運んだのではないか。
　——そうあってくれ。
　一遍は澱よどみなく念仏を唱えながら、心中で祈るように呟いた。
　そもそも己は何故、鎌倉に向かったのか。鎌倉にも己を欲してくれている者が大勢いるとは聞いている。それだけでも行かねばならぬ理由にはなる。ただそれは鎌倉に限ったことではなく、各地からそのような声が届いている。

　それらの地を回って、己たちが決して邪でないと得宗家に示した上で、鎌倉に入るべきでないか。弟子たちの中には、そのように具ぐ申しんする者も少なからずいた。
　だが一遍には、今この時に鎌倉に向かわねばならない理由があった。
　昨年の弘安四年のこと。元は前回の数倍の大軍で来襲し、日ノ本中を震撼させた。
　幕府は予あらかじめ西国の御家人を動員して九州の防衛を命じていた。その中に、一遍の出自である河こう野の家もあった。一遍の父は河野家のお家騒動に巻き込まれて命を落としている。一遍はそんな河野家に失望して出家を決めたのであった。

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