「千葉附」から「渋幕」へ。帰国子女や留学生も多い環境で、多様性に親しんで育った二人はやがて、社会に潜む差別や欺瞞に敏感な大人になった。社会には弾力が必要だというお二人が、その想いを育むに至った道のりとは?
小川 僕と彩瀬さんは、渋谷教育学園幕張高校、通称・渋幕という千葉県の学校にほとんど同時期に通っていたんですよね。中高一貫校で、僕は高校から、彩瀬さんは中学校から。
彩瀬 驚きましたよ、まさか小川さんと自分にこんな接点があったとは。
――渋幕は独自の教育方針、そして全国有数の進学校として知られています。
彩瀬 私たちの頃はそれほどでもなかったんですが、でも確かに進学校ではあったので、近隣だけじゃなく、東京など他エリアから来ている人もいて、いろんな子がいました。
小川 スポーツ強豪校だったし、活発な子も。
彩瀬 そうそう、スポーツ推薦もあって。
小川 帰国子女枠も多くて、外国で生まれ育った人も入学してくるし、体育の授業ではブラジルから来たサッカー留学生の子と一緒になったり。当時はあたりまえに感じていたけど、いま考えたらずいぶん多様性に恵まれた環境だったと思います。
彩瀬 「この世には自分と異なるバックグラウンドを持つ子がいっぱいいる」ということを体感するうえで、いい場所でした。
小川 彩瀬さんは一九八六年の早生まれですよね? 僕は八六年一二月生まれだから、学年だと一つ違い。初めてプロフィールを目にしたときから、共通の友人が多そうだと思っていたんです。彩瀬さんは海外にもいらしたんですよね?
彩瀬 そうですね、五歳からスーダン、七歳からサンフランシスコに。どちらも二年ずつ滞在しました。そこから千葉に戻ってきて、じつは小学校も小川さんと一緒なんですよね。「千葉附」こと千葉大学教育学部附属小学校。私は中学校から渋幕に進学して……。
小川 僕は中学校まで千葉附で、高校から渋幕。そもそも、彩瀬さんと同窓というのは渋幕の田村校長から聞いたんですよ。山本周五郎賞の授賞式に校長が来てくれて、その時、「彩瀬さんがこの前うちで講演してくれたんだよ。次は小川君、頼むよ!」って(笑)。
彩瀬 そうそう、『くちなし』という作品で高校生直木賞をいただいた時に、講演で呼んでもらったんですよ。
小川 その後、本当に僕も呼ばれて。学校に行ったら、先生用の通用口に彩瀬さんの記事がメチャクチャ貼ってあった(笑)。
彩瀬 ウソー!? ほんとですか……(笑)。
小川 それ以来、お目にかかる機会を待っていたのですが、念願がかないました。
-
『烏の緑羽』阿部智里・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/10/09~2024/10/16 賞品 『烏の緑羽』阿部智里・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。