疫病、戦争、自然災害、そして大切な存在の死。
コロナ禍をまたぐ4年間に語り合った足もとからの文明論。
ヤマザキマリさんの「まえがき」を公開する。
養老先生が熱中するのは命を終えた昆虫だが、私が熱中するのは生きている方の昆虫だ。この対談の初日、養老先生は遠方に暮らす知人が送ってくれたという体長一センチ程のゾウムシを電子顕微鏡で拡大し、跗節(ふせつ)のギザギザや前胸の表皮にある突起が果たして凹なのか凸なのかを分析している最中だった。昆虫愛好家でも養老先生のレベルの人々は巷では“ムシ屋”と呼ばれている。
もし私も途中で海外に移り住むことがなかったら、彼らと同様に国内外のあらゆる野山で網を翻し、捕獲してきた昆虫の特徴を執拗に分析する立派なムシ屋になっていたかもしれない。しかし、残念ながら私の昆虫への熱意は、十代半ばで昆虫に対して関心が薄い国へ行ってしまったことで萎縮してしまった。三十代に一度だけブラジルのアマゾンまで出向き、ライトトラップでひっそり昆虫採集をしたことがあるが、周りに盛り上がれる人のいない寂しさが辛くて、結局それ以降昆虫目当ての旅もしなくなってしまった。
あれから数年、鎌倉で養老先生とお会いしたのを機に、私の昆虫への思いが再燃し始めた。とはいっても冒頭部分で触れたように、私が熱中するのは生きている昆虫を眺めることで、ムシ屋の域には達していない。標本も作るが、ドイツ箱の中に昆虫を並べて配置するのも私にとってはひとつの表現作品のようなものなので、世のムシ屋たちにしてみれば、そんなのは標本とすら言えない代物なのかもしれない。
ムシ屋かそうでないのかはともかく、私がそもそも昆虫に興味を持つようになったのは、この生態が犬や猫などと違って、全く、一切合切の意思の疎通を可能とせず、同じ惑星に生存しているということ以外、何も共有できるものがないからだ。それが私には素晴らしく思えていた。
親が働いていたので、夜遅くまで留守番をしなければならなかった幼少期の私にとって、当時暮らしていた北海道の大自然に生息する昆虫たちは、私の寂しさを励ましてくれる頼もしい仲間達だった。今でも私の手元には一九七二年に買った昆虫の図鑑が残っているが、あまりに読み込みすぎて全てのページが外れ、母が補修のために使ったテープも劣化して、今では凄まじい有様になっている。でも、この図鑑はいまだに私の大切な宝物だ。昆虫という生物に対するリスペクトを更に高め、ページを捲るたびに多様な環境で暮らす様々な形状の彼らと、同じ惑星の住民であることに喜びと誇りをもたらしてくれる。
図鑑で取り上げられている緻密に描かれた昆虫たちには、それぞれその特徴が短く記されているが、生息地域に用いられる「分布」という言葉には、彼らの地球と連動した生き方が顕れているようで、ワクワクすると同時に、なぜ人間に対しては「分布」という言葉が使われないのか不思議に思われた。我々ホモ・サピエンスはこの惑星では最も支配的な生物と言われているが、生態系の頂点にあるかのような驕(おご)りが、そんなところにも垣間見えるような気がしていた。
昆虫が苦手だという人の多くはその理由に「何を考えているかわからない」「怖い」「気持ちが悪い」といったものをあげる。幽霊なんかもそうかもしれないが、自分たちの理解できる領域に収まらないものは、排除するか突き放すのが人間という生きものの特徴だ。ペットの犬や猫は振る舞いや仕草によって飼い主である我々の存在を反映してくれる。しかし、昆虫はどんなに長時間一緒にいようと人間の存在など全く慮(おもんぱか)らない。餌をねだったり媚びたり尻尾を振って寄ってくることもない。人間は自分に服従してくれない生き物(同種族である人間も含む)には、なかなか好意を抱かない。
養老先生と本書の対談を始めたきっかけも、ここに書いたような昆虫を軸にして派生する、何気ない四方山(よもやま)話である。養老先生は昆虫のメカニズムを分析しながら人間について考え、私は卵から羽化して死ぬまでの昆虫を観察しながら人間の有様を思う。
最初の対談から四年も経過してしまったので、途中で一体いつ仕上がるかわからない絨毯を織っているような感覚に陥ったが、やっとゴールに辿り着いた。その間にも地球上では様々な出来事が発生し、我々の周辺でもいくつかの変化があった。疫病、戦争、自然災害。大切な存在の死。人間がそうした事象や現象に翻弄されている中で、昆虫たちは自分たちを創った地球という惑星の秩序を守りながら、今日も毅然と与えられた命をまっとうしている。
(「はじめに」より)
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