仇討ちのため宮本武蔵は再起する
木下昌輝さんの新作『孤剣(こけん)の涯(は)て』は、かつて剣豪として名を轟かせたものの、齢を重ねて道場を閉鎖寸前まで追い込まれた宮本武蔵が主人公。徳川の治世になり、社会の変化に置いて行かれ、世を捨てると決めていた。
そんな中、己の剣術を託すと約束した一番弟子・佐野久遠(さのくおん)が殺された。絶望に沈む武蔵のもとへ、ある依頼が舞い込み、事態は一変する。徳川家康に「五霊鬼(ごれいき)の呪い」をかけた者を生け捕りにせよという内容で、久遠の死はその呪詛に関連するのではないかと直感したのだ。仇討ちの意を持ち、武蔵は再び立ち上がる。
「彼には挫折があったと思います。死の直前に記した『独行道(どっこうどう)』には、精神的な教えばかり書いてありますから。武士として勝っただけの人生だったら、武道の技術論を残したはずですよね」
敵を圧倒する強さを持ちながらも、涙をこぼし、何度も騙される。これまでにない武蔵像が鮮やかだ。人間味溢れるキャラクター設定の裏には、木下さんが近年作家として掲げるテーマがある。
「自分事になってくれる小説を目指しています。今、世の中が大きく変化し、これまでの主流が、変容を求められています。しかし人間誰しも、慣れ親しんだ古い法則に従って戦おうとする部分があるはず。その点、時代の潮目についていけない武蔵は、共感をもって受け入れてもらえるかもしれません」
物語を突き動かす呪詛のエピソードは、妖刀を描く発想から始まった。
「妖刀村正伝説を使いつつ、ファンタジーではない呪いを書こうと考えました。言うなれば、政治家が国民に対して行うような、もっとリアルで洗脳に近いもの。知らぬ間の刷り込みで、誰かが決めたことに気持ちや行動を支配されるのは、呪われていることと同義です。小説の醍醐味は、読者が自らを物語に投影できるところにあります。呪いも、私たちの現実と地続きだと伝えたかったんです」
構想から完成までに4年近い年月を要し、宮本武蔵や坂崎直盛(さかざきなおもり)など、木下さんがこれまで描いてきた歴史上の人物が揃い踏みする。
「イメージとしてはアベンジャーズです。大坂の合戦という舞台も、総集編の意味合いを強めていますね。関西出身なので家康のことはもっと悪く書きたかったですが、今回は控えめに、不気味でかつ覚悟を持ったゲームチェンジャーとして描いています(笑)。
世代や立場によって、最終的に登場人物の誰に寄り添えるかも異なると思います。読むたびに味わいが変わる小説になっていたら嬉しいです」
きのしたまさき 1974年奈良県生まれ。近畿大学理工学部建築学科卒。2021年「宇喜多の捨て嫁」で第92回オール讀物新人賞を受賞しデビュー。著書に『炯眼に候』など。