タイトルにあるカインとは、旧約聖書に登場するカインとアベルの兄弟であり、この小説の舞台となるダンス・カンパニーで演じられる新作のモチーフである。
カインとアベルは、神さまが創った最初の人類、アダムとイブから生まれた兄弟である。二人で同様に神さまに捧げものをしたのに、神さまは弟の捧げものばかりよろこぶ。それに嫉妬した兄のカインは、弟を呼び出して殺してしまう。アベルの姿が見えないことを神さまがカインに問いただすと、カインは知らないと答える。神さまの怒りに触れたカインは、だれからも殺されないよう神さまにしるしを刻印されたのろわれし者となり、その地を追放される。
それに基づいた演目を上演するのは、世界のカリスマと呼ばれる誉田規一率いるHHカンパニーである。小説は、複数の人物たちの視点によって紡がれていく。
主役に抜擢された藤谷誠、彼の恋人である嶋貫あゆ子、彼のルームメイトである尾上和馬、誠の父親違いの弟、藤谷豪の恋人である皆元有美。さらには、かつてHHカンパニーの主役に抜擢されながら、降板させられ、自主稽古中に亡くなった松浦穂乃果の父親、久文の視点もそこに混じる。
クラシック・バレエにもコンテンポラリー・ダンスにもまったく縁のない私には、バレエ用語もテクニックの名称もまったくわからず、その動きを思い浮かべることもできないのだが、この小説はそんなことはいっさい感じさせず、読者にその踊りの激しさや静けさやうつくしさをありありと感じさせながら進む。そうさせる理由のひとつは、小説の冒頭からまったく途切れることなく貫かれている、緊迫感のせいだろう。
主役を演じるはずの誠が音信不通になった。とはいえ何日も連絡がつかないわけではない。前の晩にメールを送ってきたきり、恋人のあゆ子が電話をかけなおしても出ない。それだけのことなのに、読み手はすでにざわざわとした不穏な緊迫感のなかに放り投げられ、緊迫感に幾度も叫び出しそうになりながらも、読みやめることができずに、何が狂っているのかわからない世界へと一気に進まざるを得なくなる。
だから、この小説をあえて分類するならば、牽引力の非常に強いミステリーといえるのだけれど、でも本作のいちばんの凄みは、たんなる謎解きを超えた――もっといってしまうならば、謎そのものがどうでもよくなるくらいの、物語の重厚さ、含有するテーマの複雑性にあるように思う。
小説のいちばんメインの筋は、カイン役である藤谷誠の失踪である。彼がどこにいるのか、彼の代役をまかされる(かに思えた)尾上は、弟の豪は、その失踪に何か関係しているのか。読み手ははらはらしながら謎を追う。
しかしそれ以外にも、じつに多くのテーマがこの小説には含まれている。それぞれ一編ずつの長編小説の核になりそうな深いテーマが、それを抱えた人たちの声で語られる。
まず、藤谷誠と豪、二人の兄弟間の、まさにカインとアベル的な関係。弟を褒めそやす母と、何を考えているのか、息子の豪にもわからなかったフランス人の父親という、解体して久しいいびつな家族。
娘を失ったものの、法的な加害者を見つけることができずに、誉田規一とHHカンパニーの動向を調べ続ける母親と、そんな妻をどうすることもできず見つめ続ける父親、松浦久文の苦悩。
カリスマ誉田規一に見出してほしい、認めてほしい、自身の才能をあますところなく引き出してほしいと、くるおしく願う尾上和馬はじめ、多くの表現者たち。
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