本書の解説の依頼をもらったとき、私は反射的にメールを閉じて小さく叫び、居ても立っても居られなくなって部屋の中をうろつき回り、しばらくしてまたパソコンの前に座って恐る恐るメールを開き直した。
私が! 角田光代さんの本の解説を!
小説家デビューする前、完全にただの一ファンとして角田光代作品を読んできた過去の自分に大声で報告したくなった。それができないことを歯がゆく思い、けれどすぐに、別に過去の自分に報告に行く必要などないのだと気づいた。
自分が書き手であろうがなかろうが、角田光代さんの作品を前にすれば、たちまち完全な一ファンに戻ってしまうのだから。
角田さんの本を開くと、いつもすぐに物語の中に引きずり込まれる。自分が何者かなんてラベルとは関係ない、もっと奥のところにいる自分の欠片たちが、口々に騒ぎ始める。この感情は知っている、この記憶はここにもある、これは私のための物語だ、と。
本書には、十一の短篇が収録されている。
描かれているのは、十一組の恋人たちだ。
それぞれに別の人生を歩んできた彼らは、出会い、同じ空間と時間を過ごすようになる中で、少しずつ相手のある部分を許せなくなっていく。
たとえば、「サバイバル」には、風呂に入らない女が登場する。
それも、少しサボりがち、というレベルではない。バリ島に行って海で遊んで、背中に藻や砂をはりつけたまま眠り、翌日もシャワーさえ浴びることなくそのまま帰国して、さらにもう一晩平気で洗わずに過ごしてしまうレベルだ。
最初はおもしろがり、「ワイルドでたのもしい感すらある」と友達にも笑って話していた男も、やがて、彼女が前に風呂に入ってから何日目か臭いでわかってしまうことに、楽しく飲んで、二人で馬鹿笑いしながらじゃれ合って、「やるには飲みすぎた」と考えた後、「せっかく風呂初日なのに」と思ってしまうような日々に、耐えられなくなっていく。
各話には、そうしたある意味「極端な人」が出てくる。
出会った記念日、キスした記念日、性交記念日、交際決定記念日、ディズニーランド記念日│と細かな記念日を延々と作り出し、そのすべてを、一緒に、特別なものとして祝いたいと願うクマコ(「昨日、今日、明日」)。
好きなアーティストのCDは散々迷った挙げ句に買わないのに、買っても使いもせず、買ったことさえ忘れてしまうような流し素麺機や腹筋マシン、防毒マスクやホットサンドイッチメーカーやミャンマーの竹籠には湯水のようにお金を使うリョウちゃん(「お買いもの」)。
公表していいことと悪いことの区別がつけられず、恋人の童貞喪失年齢を自宅に飲みに来た仕事仲間の前で話したり、友達の好きな人をみんなにバラしたり、店長とアルバイトの不倫について口をすべらせたりしてしまうナミちゃん(「57577」)──
薄めれば多くの人たちにもあるようなことを、度を越すほどに凝縮した彼らの言動は面白く、魅力的だ。
だが、だからこそ、物語が進むにつれて、そのおかしさが物悲しさへと変わっていく。
どうして、この人は、このままで許してもらえないのだろう。
どうして、最初は許されていたものが、許されなくなってしまうんだろう。
「旅路」において、〈ぐずぐずと寝坊し、ベッドのなかでならんでテレビを見、昼近くに起き出して昼食をとり、のんびりと掃除をしたり洗濯をしたり〉する休日を愛していた吉男と依子は、半年以上も計画を練って楽しみにしていたはずの旅行先で互いを罵り合うようになる。
「共有過去」において、〈電気もなく、水道もなく、娯楽などいっさいない貧しい村に、突然映画館ができたような、突然テレビゲームが導入されたような、ドリンクバーのマシンがいきなり設置されたような、つまり必要以上の文明がどんと割りこんできたみたいな、ぼくの人生にとってカナエはそういう存在だった〉と考えていたショウちゃんは、やがて万引きをやめられないカナエを不気味に感じるようになる。
-
『リーダーの言葉力』文藝春秋・編
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/12/17~2024/12/24 賞品 『リーダーの言葉力』文藝春秋・編 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。