- 2022.08.15
- 文春オンライン
「あの男前のヴォーカルが、完全なる変態に…」King Gnu・井口理が『白日』で見せた、目を疑うほどの“変貌”とは?
高橋 弘希
「文學界」大好評連載! 近現代音楽史概論B 出張編・King Gnu
芥川賞作家・高橋弘希さんが雑誌「文學界」にて好評連載中の「近現代音楽史概論B」。ご自身もバンド活動をされていた“自称音楽批評家”高橋さんが、思い入れのあるアーティストについて自由奔放に語りつくすエッセイです。
今回は出張版として、文春オンラインにKing Gnuについての特別回を掲載します。CDTVを見た高橋さんが目を疑った“変態”の正体とは――。
◆◆◆
本ウェブにエッセイで登場するのは3年ぶり4度目である、などと語ると、甲子園に出場する高校野球児のようだが、私はかつて町内子供野球チーム“間々宮パイレーツ”の不動のベンチメンバーだったゆえにスピリットとしてはあながち間違えでもない。
確か前回は将棋エッセイを記し、ある将棋ファンからは好評を頂き、ある将棋ファンからは顰蹙を買い、ある将棋ファンからは「あなたの文章はゴキゲン中飛車ですな」などと謎の批評をされ、結果として朝日杯将棋オープン戦に招待され加藤一二三氏にお会いすることもでき本望である。今回も本稿の効力により、巡り巡ってメタリカのライヴに招待されることを期待している。
して、本稿は文學界にて連載中の「近現代音楽史概論B」の出張編である。同時に編集部からは、次のような依頼を受けている。――分かってると思うが出張編というのは名ばかりで、本稿の目的は新刊(※)の宣伝である、音楽随筆はほどほどに新刊の宣伝を最優先せよ。成程、私も曲がりなりにもプロの作家、見事、編集部の期待に応えてみせよう。
2017年、King Gnuとの出会い
連載本編ではゼロ年代の音楽を扱うことが多いが、私は自称音楽批評家として、10年代、20年代の音楽も期待感を持って常に注視している。そして今回取り上げるのはKing Gnuである。そう、私が彼らと出会ったのは、17年「Vinyl」のMVだった。なんの予備知識もなく本MVを観て、噂には聞いていたがとんでもないバンドが現れたと驚嘆した。センス溢れる楽曲、斬新な編曲、高度な演奏技術、特にヴォーカルの歌唱力は刮目もので、その甘くときに掠れるハイトーンの伸びやかで艶のある声質は全盛期のアダム・レヴィーンを想起させる。しかも俳優と見間違うほどの端正な顔立ちに妖艶なる色気――、私は確信した。そしてなんでんかんでん川原社長の口ぶりで、一人洩らした。
――これは売れる。
実際その後、King Gnuは「白日」にて大ブレイクしたことを知り、自身の見る目に狂いはなかったと満足した訳だが、数か月後、偶然にもCDTVで彼らを観て愕然とする。テレビを点けると、ちょうど彼らのスタジオライヴ中で、演奏曲はすでにアウトロに入っており、ヴォーカルの立ち位置では、髭面眼鏡に半袖短パン姿の、謎の珍奇なる男が、謎の珍妙なる踊りを披露しており、その姿はどう好意的に見ても完全なる変態である。この変態は、いったい何奴――。
“完全なる変態”の正体は…
そして演奏終了と共に理解する。なんということだろう、あの男前のヴォーカルは、おそらくは事務所の方針で解雇されたのだ。インディーからメジャーへ移籍するさいに、音楽的な理由でメンバーが代わる、これは間々ある話だ。しかしあのヴォーカルを解雇する理由は、まるで見当たらない。私は混乱した。果たして彼らにいったい何があったのか。
そして後日、「Vinyl」のMVに出演していた彼と、あの完全なる変態が同一人物であると知り、私の頭は更に混乱する。この2年半ほどの間に彼にいったい何があったのだろうか、現代の音楽業界はあの好青年を完全なる変態にまで貶めてしまう魑魅魍魎の跋扈する異界なのだろうか――、そして彼が完全なる変態と化して以後も、その歌唱力は衰えるどころか益々の艶を帯びており、変態が美しい声で唄うという現状に私の脳内は更なる混迷を極めていくのだった。これはもう彼らのライヴに赴いて、その全貌を目の当たりにするしかない。
そんな折、ロック・イン・ジャパン・フェス2022に、King Gnuが出演することを知る。しかも今年のロッキンには、連載本編でも取り上げたバンプにナンバガ、親交のある尾崎君のクリープハイプ、そしてかつて心酔したももクロまで登場するではないか――、問題は高額なチケット代の捻出である。私は我が顧問敏腕税理士の御手洗に連絡をした。
――御手洗君、これって経費でどうにかならんのかね。
――ロッキンでの体験を元に先生が原稿を書くのならば、経費にすることもできるでしょう。ところで先生、先月の経費として計上されているFANZAの月額見放題プランですが、こちらはいずれ原稿になるのでしょうか?
そんな訳で、私は意気揚々とロッキンの通し券を購入した。くしくも本稿が掲載される翌日、8月6日から今年のロッキンが始まる。本体験を原稿にしなければ“令和の脱税作家”となり違う意味で文春オンラインに登場しそうなので、ライヴの全貌はいずれ連載で記そう。して、King Gnuの総評をする。
King Gnuの“独自性”とは?
90年代、非常に強い主旋律を持った楽曲が量産され“Jポップ”と名づけられたが、例えば「白日」を聴くとなぜかあの楽曲群に近い印象を受ける。どこを切り取ってもサビに聴こえるというあの感覚――、この強い主旋律をポップスでもロックでもなくミクスチャー・ロックに乗せたところに彼らの独自性があった。同時にこのミクスチャー、《混ぜ合わせ》の素材が非常に多岐に渡り、その領域はハードロックやヒップホップやクラシックやジャズにまで及び、本来ならば分かり難い雑多な音楽になりそうなものだが、強い主旋律とあの稀有なヴォーカルによって広い間口を設け結果として大衆の支持を得た。つまり“Jポップ”をも混ぜ合わせに用いたと言える。King Gnuに限らず、ポップスやロックの範疇の外で強い主旋律を持つアーティストは近年の邦楽に度々登場しており、その源泉を辿れば07年のDTMソフトウェアによるあの技術革命にあるのでは、と私は踏んでいる。この推測が確かなものか否かは、引き続き文學界の本編で探っていきたい。
さて、冒頭でも記したが、本稿の目的は自著の新刊の宣伝である。そして本稿を読み返し、私はあることに気づく。一文たりとも新刊の宣伝をしてねぇじゃねぇか。これはいけない。新刊の売上が芳しくない場合、我が心の友、アイ●ルとのお約束も果たせなくなってしまう。しかし残り少ない文字数で新刊をアピールすることは不可能ゆえ、私が編集部に提案して敢えなく没になった新刊の帯文を列挙して、筆を置くことにする。
〈 ――鬼才、ついにそのベール(パンツ)を脱ぐ。
――マノウォーは演るのではなく殺るのです。
――アンプはマーシャル、時計はロレックス、車はメルセデスなのデス。〉
※編集部注:8月9日(火)発売の『音楽が鳴りやんだら』(文藝春秋)のこと。
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