「ずいぶん乱暴な人だなぁ」
そう思ったのが初めて会った角幡唯介さんの印象で、それは二人で八重山諸島の海を旅しようと、カヤックを受け取りに向かった運送会社の従業員に、返金を迫ってまくし立てる姿だった(このとき送料を誤り10倍近い法外な請求をしたのは運送会社で、あくまで角幡さんに非はない)。沖縄の空港で待ち合わせた僕たちの目的は、極夜のグリーンランドを探検する為に必要な食料や燃料を、事前にカヤックで運びデポする計画にむけたトレーニングだった。琵琶湖でカヤックガイドをしている大瀬志郎さんから「探検家の練習につき合ってやってほしい」と頼まれたのが事の始まりで、ツアーなどではなく実践的な訓練をするには、日頃ふらふらとカヤックで旅ばかりしている僕はうってつけだったのだろう。角幡さんは傑出した探検家として既に知られていたので、その著作を読んでいた僕は、彼に会うのを楽しみにしていた。
トレーニングは石垣島から西表島へと海峡を渡り、島を一周する計画だった。カヤックを始めたばかりではおよそ無茶な話だが、角幡さんは持ち前の並々ならぬ体力で漕ぎ抜く。とはいえグリーンランドのデポ行は助っ人を求めていたようだ。西表の穏やかな海上で「一緒に行こうよ」と僕に声をかけてくれた。デポは本番のための準備でしかないが、カヤックで行なうとなれば立派なエクスペディションだ。そしてグリーンランドは伝統的なカヤックが生まれた地でもある。僕らが旅をする北西部は、現代でも木の骨組みと革張りのカヤックを使った狩猟がイヌイットによって行なわれている稀な地だ。かねてからカヤックの故郷であるグリーンランドや極地の旅に憧れていた僕は、角幡さんからの誘いに二つ返事した。ただ、勢いで言ってしまったものの、彼のぶっきらぼうさと、見返りもない他人のデポ行のためにかかる高額な旅費に「やっぱり、断ろうかな……」という内心を吹っ切ることができず、悶々としながら準備する日々を過ごした。
沖縄でのトレーニングから約半年後、僕は一人で大量の荷物と組み立て式のカヤックを携えて小さなヘリに乗りこんだ。赤や緑のカラフルな家が並んだシオラパルクの高台にある、ヘリポートとも呼べない空き地で角幡さんは出迎えてくれた。
再会したのもつかの間、準備が始まる。組み立てたカヤックにギュウギュウと荷物を押し込んでいると、人懐っこいシオラパルクの住人たちが興味津々でやってきて、思い思いの質問を角幡さんに投げかけている。僕には何を話しているのかさっぱり分からないが、角幡さんは短い滞在の間に村人とのコミュニケーションができる程の言葉を身につけており、優れた語学のセンスを感じさせた。そして人気者だ。僕らが家にいる間、ひっきりなしに村の人たちが訪ねてきた。言葉や文化を超えて、人を引きつける魅力をもっているのだろうか。
村の人たちに見送られ、僕たちは氷の上にカヤックをすべらせ海の旅をスタートさせた。カヤック越しに感じる冷たい海と、極地の荒涼とした景色におののきながらも、僕は初めて漕ぐグリーンランドの海に、静かに感動していた。ボートに乗って猟から帰ってきた村人に「海象(せいうち)が沢山いたぞ、気をつけろ」と忠告されたが、カヤックに乗る僕らにできることと言えば、沖に出て海象の怒りを買わないよう岸寄りを漕ぐことだけだった。突き刺すように冷たい風の中を苦労して漕ぎ進み、そろそろ上陸してキャンプ地を決めたいと思うのだが、岸にはカイグウと呼ばれる定着氷がコンクリートの護岸のように張り付き、容易に上陸はできない。僕らは小川の流れ込みにカヤックを係留し、重い荷物を引き上げた。小高い丘を背景にしたキャンプは快適で、細々としたたき火で炊事をしながら、取り留めもなく話した。
「カナダのツンドラは楽しいよ、動物も沢山いるんだ」
「いつか行ってみたいですね」
沈まない太陽の下、角幡さんの話に耳を傾けながら過ごすのは、日本での不安を忘れる充実した時間だった。