- 2022.11.14
- 書評
未来の可能性へ想像力を働かせること。それを希望というのだろう。
文:山田 宗樹 (作家)
『罪人の選択』(貴志 祐介)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
二つの話が交互に語られるという構成は『夜の記憶』と共通で、あちらでも高い効果をあげていたが、その二十五年後に書かれた本作では、作者の到達した境地をまざまざと見せつけられる。
まず特筆すべきは、二つの流れは呼応するだけでなく、互いの緊迫感を増幅し合う構造になっていることだ。読者は、その劇的効果を、三分の一も読み進めないうちに実感できるだろう。そして、二つの時代の出来事の顚末に、さらに時を経た第三の場面が加わった瞬間、この構成が最大限の効果を発揮し、物語が反転する。一分の隙もなく、見事というほかない。
さらに随所に光るのは、読者の意識を自在に操る技の冴えだ。当然、読者もさまざまに推理を働かせて真相を予想するだろうが、そのたびに作者はひらりとかわす。その巧みさは心憎いばかりで、読了したときには爽快感さえ覚えるかもしれない。作者の掌で気持ちよく転がされるという、ミステリならではの体験を味わえる。そんな極上の一編だ。
そして最後を飾る『赤い雨』は、ミステリ的な手法を駆使したSFと言えるだろう。終末SFの重苦しい雰囲気で物語が進む中、ちりばめられた伏線が一気に回収される快感も味わえる贅沢な造りになっている。
舞台は正体不明の微生物〈チミドロ〉によって蹂躙された地球だが、まずこのチミドロの設定が素晴らしい。私は過去に製薬会社の研究所で菌類を扱っていたこともあり、微生物に関してはそれなりの知見を得ているが、作中で語られるチミドロの生態を絵空事とは思えなかった。
チミドロで飽和した世界では、特権階級の人々だけがドーム状の安全な建造物の中で生活し、そのほかの大多数は、チミドロの胞子で赤く染まった雨に打たれながらスラムで短い一生を送るしかない。主人公である瑞樹はスラム出身だったが、類まれな頭脳に恵まれてドームに入ることのできた女性医師で、チミドロによって引き起こされる死病〈RAIN〉の治療法を探している。しかし研究を進めるためにある行動を起こした結果、RAINの感染者をドームに入れるという絶対的な禁忌を犯してしまう。
ドームを危険に晒した罪で裁判にかけられた瑞樹は、聴衆の罵声を浴びる。チミドロの胞子一つにも神経をとがらせる彼らにしてみれば、チミドロにまみれたRAINの感染者をドームの中に引き入れるなどテロ行為に等しい。RAINの治療法を見つけるためという瑞樹や彼女を弁護する光一の言葉にも耳を貸さず、瑞樹を極刑どころか人体実験に使えとまで言い立てる。恐怖は人間の理性を麻痺させ、憎悪を暴走させてしまうのだ。
彼らと対照的な人間の姿も、その少し前に描かれている。RAINで死んだ遺体をスラムから運び出そうとする瑞樹を見咎めた、スラムの男たちだ。瑞樹に対して疑念と憎悪を剝き出しにし、殺すことさえ厭わないかに見えた彼らだが、瑞樹の目的がRAINの克服であることを知ると、なおも殺気立つ仲間を宥め、瑞樹に道を空ける。いつかRAINを克服できるとしても、自分たちにはとうてい間に合わないと承知の上で、彼らは未来の可能性を瑞樹に託すことにしたのだ。
どちらも人間の姿である。だが、どちらがあるべき姿だろうか。
本作はある意味、先に紹介した『呪文』と対をなしている。『呪文』では、惑星〈まほろば〉の住人たちは自らの憎悪が招いた力によって滅んでしまうが、本作の人類はかろうじて踏み留まっている。
圧倒的な困難を前にしても思考を止めないこと。そして恐怖に耐え、未来の可能性への想像力を働かせること。それを希望というのだろう。人は、希望を失わないかぎり、人間らしい生き方ができる。本作を読み終えてなにか力を得たような気がするのは、作者のそんな思いが込められているからではないだろうか。
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