翻(ひるがえ)って二代目團十郎は、十歳で初舞台を踏み、成田山不動明王のご利益により誕生したことから「成田不動の申し子」と呼ばれていた。成田山出開帳の折には、父とともに大提灯と大鏡を奉納している。順調に舞台での経験を積み芸を磨いていたが、元禄十七年(一七〇四)、父の初代が舞台に出演中、共演者の生島半六(いくしまはんろく)に刺殺された。それは若くして人気役者と謳(うた)われ生涯を舞台に賭けた初代にとって、どこか華やかな悲劇的最後であったが、父の庇護を失った十七歳の九蔵にとっては強い衝撃であったことだろう。團十郎の名声といってもそれは親一代が築いたものであり、今後の市川家の命運は全て九蔵の肩にかかったのである。九蔵は父の中陰(四十九日)まで舞台を休み、この間成田山において二十一日間の断食修行を行い至心に祈願している。そして忌明け七月の山村座「平安城都定(へいあんじょうみやこさだめ)」で二代目團十郎を襲名したのであった。
二代目は、母が病気になれば徹夜で看病し、全快祈願をするなど大変な信心家である。『花江都歌舞伎年代記』の宝永元年(一七〇四)の項には、「下総国。成田山不動明王へ祈誓を掛け、父に勝れたると願うは、不孝の至りなれど、家名相続するこそ本懐ならん。あまねく世界に名を揚げんことをと、立ち行して祈ること度々なり。さてこそ十か年ほどのうちに日本はいうにおよばず。唐・高麗まで、その名広きこと、ひとえに成田山不動明王の霊験ありがたし」と記されている。
このように元禄期を境に飛躍をとげた歌舞伎は、三代目以降の團十郎にも成田山への篤(あつ)い信仰の上に連綿と受け継がれ、観衆の大きな感動を呼びおこしたのである。
殊(こと)に七代目團十郎は、文政四年(一八二一)大金一千両をもって、額堂(絵馬堂)一棟を成田山に寄進した。俗に「三升(みます)の額堂」と呼ばれている。額堂の正面の柱には「せつたい所 七代目團十郎」と書いた招牌(看板)を掲げ、自ら参詣人に湯茶の接待を行っている。この額堂が、昭和四十年に心無い者の行いによって焼失してしまったことは残念でならない。
跡継ぎに恵まれなかった七代目は、初代と同様成田山不動明王に男子出生を祈り、文政六年(一八二三)ようやく新之助が誕生した。後の八代目である。このときは、恩に報い三つ組の大盃を成田山に奉納している。
又七代目は、天保の改革の奢侈禁令(しゃしきんれい)に触れ江戸十里四方追放となり、成田屋七左衛門と改名して成田山に隣接する末寺延命院(えんめいいん)に蟄居(ちっきょ)し、心労不遇な境涯におかれたが、約七年余ようやく恩赦(おんしゃ)を受け、再び舞台興行することが許された。その折、「願ふなり子々孫々の末迄も 不動明王ふとうみやうわう」と御本尊に祈請したのであった。
時は移り、十一代目團十郎も熱心な成田山信仰者であった。昭和三十七年十一代目團十郎襲名奉告お練り参拝を始め、ことあるごとに登山されている。昭和三十九年には、市川家出自の幡谷にある成田山特縁寺院の東光寺(とうこうじ)に「市川團十郎先祖居住之地」と刻んだ石碑を建立(こんりゅう)し末永く祖先を顕彰したことは誠に吉祥至極である。
十二代目團十郎は、これまで築き上げられた江戸歌舞伎の美、様式を受け継ぎ、歌舞伎界のリーダーとして活躍された。成田山には、毎年の初詣、節分会をはじめ、昭和四十四年の十代目海老蔵、昭和六十年の十二代目團十郎の襲名などの大舞台には、必ず御本尊不動明王にお参りされたのであった。殊に平成二十年成田山開基一〇七〇年祭記念大開帳の折、團十郎、海老蔵親子共演の『連獅子(れんじし)』は、大開帳の初頭を飾るに相応(ふさわ)しい思い出の一つである。
当代の海老蔵丈は、七代目新之助当時から二度に亘(わた)る山岳修行大峯山入峰を勤済している。又、平成十六年の海老蔵襲名時には、成田山参籠修行を勤めると共に、伝統歌舞伎名跡の相続者として市川宗家御一門勢揃いで奉告参拝をされている。
この度十三代目團十郎白猿を襲名なされる。又ご子息が八代目新之助を名乗り万々歳である。誠に感慨深く同慶に堪えない。惟(おも)うに初代團十郎が初舞台を踏み名乗りを上げて以来、実に三四九年目の慶事である。新團十郎丈には、歴史の重みと世界に誇るべき日本の伝統文化として発展して来た梨園において、今後も市川家代々の芸を継承されるとともに、現代歌舞伎に新しい生命力を吹き込まれることを念願して止まない。
令和四年九月一日
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