- 2022.11.08
- インタビュー・対談
<松井今朝子インタビュー>江戸中が熱狂した初代を知れば、歌舞伎役者「市川團十郎」がわかる!
オール讀物編集部
『江戸の夢びらき』(松井 今朝子)
ジャンル :
#歴史・時代小説
コロナ禍で延期されていた13代目市川團十郎の襲名披露公演がいよいよはじまった! 江戸の元禄時代から脈々と受け継がれる歌舞伎役者「團十郎」とはいったい何なのか? 初代團十郎の一代記『江戸の夢びらき』(文春文庫)の著者・松井今朝子さんに話を伺った。
インタビューは単行本刊行時(2020年)のものです
――13代目市川團十郎白猿を市川海老蔵さんが襲名されるわけですが、改めてこの襲名に注目が集まる理由はどこにあるのでしょうか。
松井 まず役者が「何代目」を名乗るのは何のメリットがあるのかを考えてみましょう。今でこそ歌舞伎は古典芸能なので、何代も続いている名跡が非常に有難く感じられますけど、初代團十郎の活躍した元禄時代、歌舞伎は最先端の芸能だったわけで、そこで「2代目」を名乗っても、何だか偽者とかそっくりさんのような感じがしますよね(笑)。実際、2代目には単なるそっくりさんもいて、仮に実子であっても最初はオヤジのそっくりさんが出てきたという感じで売りだしていたようです。
ただ團十郎の場合は2代目が偉大だったので、團十郎のネームヴァリューがますます上がったということが言えます。さらに代々の襲名の経緯というのは、割といい加減なところもあり、まったく関係ない人が継いだりすることも度々ありますが、團十郎に関してはこの人が継ぐのであれば間違いないという役者が比較的多く出て続いてきました。ことに4代、5代、7代、9代は時代を代表するような名優で、歌舞伎という劇壇内で大変な力を持ちます。特に明治時代の9代目の團十郎が、近代歌舞伎の劇壇に君臨したことで、團十郎の名跡が揺るぎないものになりました。また11代團十郎の襲名は、戦後の日本社会を明るくしたイベントで、私もその舞台は何度か観ています。
――この度、松井さんが初代團十郎の小説を書こうと思われたきっかけは?
松井 ちょうど20年前になるんですけれど、『仲蔵狂乱』という拙著がテレビドラマ化されました。その記者会見後、12代市川團十郎さんから「次はうちの初代の話を小説にしませんか」と直に言われたことがあったんです。私は関西出身ですし、当時は團十郎を書こうとは思わなかったんですが、それ以降、なんだか不思議と團十郎のことについて雑誌への寄稿や講演の依頼が続きました。それで調べていくうちに初代團十郎についてまともに書かれたものが本当に少ないので、逆にどんどん興味が湧いて、いつかそれを書いてみようと考えるようになりました。
團十郎の襲名ということがあって、皆さんも團十郎に関心をもっていらっしゃると思うのですが、初代團十郎のイメージというのは小説にも映画にもなっていないので、なかなか一般の方は人物を想像しにくいでしょう。幸い史料も少し手元にあったし、この機会にきちんと書いておこうと連載をはじめた次第です。
――実際に初代の團十郎というのはどんな人物だったのでしょうか。
松井 私たちがふつう時代劇などで目にする江戸の風俗は、ほとんど享保(1716年~)以降のものですから、初代の活躍した江戸初期の情景を書くのは苦労しましたが、史料を調べていると「なるほど!」という事実も発見できました。たとえば、いまの歌舞伎の舞台では〈奈落〉といって、舞台の下を使うようにしていますが、それは初代團十郎がはじめた工夫なんじゃないかとか。子供を使った宙乗りの演出もやはり初代がやっていて、この時代を押さえてこそ、現在につながる歌舞伎演出の成立過程も分かるんじゃないかと思いました。
初代團十郎は〈荒事の開祖〉として知られています。現代では荒事をいわば歌舞伎の定番のような感じで、皆さんはご覧になっているでしょうが、当時の観客は彼の舞台の何に熱狂したのか? そこは想像しながら書きつつも、「荒事とはどんなものですか?」と聞かれた海老蔵(初代の幼名)が、招かれた屋敷の襖をばりばり破って「これが荒事でございます」と答えたというエピソードが残って、それが面白いので、子供時代の出来事にその話を置き換えて書いたりしました。
やはり團十郎というのがどんな人物だったかというと、ひとつは大人になっても子供の心を失わなかったというか、今でも荒事は年をとっても前髪をつけて、稚(わか)い心で演(や)らなければならないという口伝があるくらいですからね。その荒事の根本的な精神というのは、人間が人間を超えた何かになっていくことではないか――そうして観客に「とてつもないものを観てしまった」と思わせる。いわばとんでもなく大きなエネルギーの塊を、初代團十郎は子供の頃から持っていた。それを爆発させていく姿を作中では描きましたし、荒事論として本人にも語らせています。
2代目は、当時の文献にも小柄でかわいらしい役者だったと書かれています。実父よりも小柄でソフトで、かわいらしい顔立ちをした2代目は、むしろ荒事を受け継いで有名になったというより、それ以外の芸、たとえば物品販売の口上を真似たりするなどして、自分なりの團十郎像を売り出していきます。それでも荒事の精神というのは、彼の母親、要するに初代の妻の恵以が、初代が亡きあとも懸命に息子へ伝えようとしたのではないかと思っています。
――初代の妻の恵以という人物は、『江戸の夢びらき』を通しての視点人物で、子供時代の海老蔵に見初められ、妻となってから2人の男児も儲けています。
松井 初代の奥さんは後に出家して栄光尼になりますが、これが大変できた人物だと書いてある当時の史料があります。そういう人物だからこそ、2代目があれだけの役者になったのは確かでしょう。そうした賢婦人の人格はどのようにできたのか? 史料で押さえつつも、彼女の生い立ちは想像力を逞しくして描きました。
とにかく初代團十郎一家が生きたのは、ものすごく大変な時代です。私は毎回小説を書きはじめる前に、登場人物が何歳の時にどんな出来事が起こったか年表を必ず作るんですが、それで江戸の人は天災に遭わずに済む人はいないというのが、いつもよく分かります(笑)。ことに團十郎の初代から2代目にかけては、「これだけのことが起こったんだ!」と驚きました。元禄の大地震から大火災が起こり、南海トラフ地震や富士山噴火も続いたわけで、まさに天変地異の連続といえます。
そこで『江戸の夢びらき』というタイトルについても説明すると、現代では「夢」という言葉をドリームとして希望実現の感覚で使う方も多いでしょうが、こうした感覚は近代以降のもの。日本語には「これはもう夢になってほしい」「夢なら覚めてくれ」という言い方があるように、江戸時代の人にとって夢はナイトメアに近いニュアンスのものでした。だから「夢びらき」という言葉にはドリームとナイトメアの両方をかけて……江戸という町を拓いていく夢ある時代に生まれたひとりの不世出の役者の話であると同時に、政治的にも災害的にも悪夢のような出来事がいっぱいあった時代だからこそ、その悪夢を見事に晴らして復活する芸能人の話でもあるんです。
――いちばんの悪夢は初代團十郎が、まさか舞台で刺殺されてしまうことかと……。
松井 この殺人事件については当時から諸説あったようで、殺されたのも舞台だったか、楽屋だったか両説があるくらいなので、それらを踏まえつつ、小説の中では割とリアルに描きました。殺された原因がいったい何だったのかは、犯人がすぐ獄死しているので、結局、本当のところはよく分かりません。だからこそ、そこは逆にミステリーとして、自分の想像力を膨らませて真相に迫りました。
とにもかくにも実人生がなまじっかな芝居よりも、ずっとドラマチックだったのが初代團十郎という人物です。ぜひ作品を通じてその波乱万丈の生涯を、ご自身の目で確かめていただければと思っています。
松井今朝子(まつい・けさこ)
1953年京都市生まれ。南座にほど近い環境で育ち、子供のころより歌舞伎の魅力にとりつかれる。早稲田大学大学院文学研究科演劇学修士課程修了後、松竹株式会社に入社、歌舞伎の企画・制作に携わる。松竹を退職後フリーとなり、故・武智鉄二に師事して、歌舞伎の脚色・演出・評論などを手がけるようになる。
97年、『東洲しゃらくさし』で小説家としてデビュー。同年に、『仲蔵狂乱』で第8回時代小説大賞を受賞。この作品は、2000年に市川團十郎、新之助の出演でTVドラマ化された。07年『吉原手引草』で第137回直木賞受賞。19年『芙蓉の干城』で第4回渡辺淳一文学賞受賞。その他の著書に小説『円朝の女』『師父の遺言』『料理通異聞』『縁は異なもの 麹町常楽庵 月並の記』、歌舞伎の入門書として『歌舞伎の中の日本』(NHKブックス)など。
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