なんと十七年ぶりのシリーズ二作目である。
誉田哲也は二〇〇三年、『ダークサイド・エンジェル紅鈴 妖の華』(学習研究社)でデビュー。四百年生き続ける日本古来の吸血鬼「闇神(やがみ)」を主軸にした伝奇ホラーであるとともに、刑事たちが闇神に殺された不可思議な死体の真相究明に奔走する警察小説でもある。七年後の二〇一〇年に、大幅な加筆・改稿を施し『妖の華』として文春文庫入りした。
本書はその『妖の華』の三年前を描いた前日譚である。
つまり時系列的にはこちらが先になる。だからこちらを先に読まれてもいっこうに差し支えないのだが──しかしまずは刊行順での読書をお薦めしたい。
その理由をお話しする前に、ざっと前作を振り返っておこう。
喉元を食いちぎられて失血死した、なんとも悲惨な死体が発見される。その手口は三年前に起きた「組長三人殺し」に酷似しており、警察が動き出す。一方その頃、ヒモまがいの生活をしているヨシキがヤクザのリンチに遭っているところを、紅鈴という若い女性に助けられる。紅鈴にはどうも不思議な能力があるようで──。
この紅鈴が実は四百年生き続ける不老不死の吸血鬼・闇神であること、「血分け」という禁じられた技を使うことで人間を闇神にできること、彼女にはかつて欣治というパートナーがいたらしいこと、紅鈴は三年前に彼女と欣治が関わった「組長三人殺し」の余波のせいで今もヤクザに追われていることなどが次第にわかってくる。
つまりベースにあるのは、いわば和風ヴァンパイア伝説とでもいうべき伝奇ホラーだ。ところが『妖の華』はそこに、リアルな警察小説を組み合わせた。まるで吸血鬼に襲われたとしか思えない(それが事実なのだが)死体を前に、組織描写から捜査手法にいたるまで極めて現実的な警察のパートと、吸血鬼のパートがほぼ交互に語られるのだ。
怪異の存在を認めた上での警察小説なら他にも例があるが、リアルな警察小説の構造を伝奇ホラーと融合させたのは実に新鮮だった。だからこそ途中からの刑事の戸惑いが大きな読みどころになる。が、それは前作を読んでいただくとして。
前作には他にも迫力あるアクションシーンであったりグロテスクな殺害シーンであったりという見せ場も多いし、どんどん人は死ぬし、展開も速いし章ごとの引きも強いしと、つまりは開始直後からギアをトップに入れたままスピードを緩めずに最後まで駆け抜ける勢いが魅力だった。吸血鬼パートも警察パートもその他のパートも「好きなものや書きたいことを全力で詰め込みました!」という若さがほとばしっているのだ。その勢いに乗せられて、どんどん先が気になってページをめくってしまうのである。
これは著者の初期作『アクセス』(新潮文庫)の解説を書いたときにも感じたことだが、この時期の誉田作品の詰め込みっぷりは実に微笑ましい。ただ詰め込んだだけではなく、さまざまな要素が有機的に結びついてひとつのテーマに収斂されていくので、煩雑な印象はまったくないのにも驚かされたものだ。
面白い作家が出てきたなと思ったが、そこから誉田は警察小説へと舵を切った。小学館のサイト「小説丸」に掲載されたインタビューによれば、誉田は「(本作を)書き終えてみたら、警察小説の方が楽しくなってしまっていたんです」と語っている。ええっ、そんなあ。
いや、そこからあの「姫川玲子シリーズ」が生まれたわけだから文句は言えないのだが、おかげで当時すでに構想済みだった紅鈴の「続編」が読者の手に届くまで十七年かかったわけである。だがそれは決して余計な回り道ではなかった。十七年の時を経たからこそ描けたドラマが『妖の掟』には詰まっているのだ。
ということでようやく本書の話に入る。
舞台は『妖の華』から三年前。四百年生きる紅鈴と、闇神になって二百年の欣治は、ヤクザに袋叩きに遭っている辰巳圭一を助ける。ちょうど住む場所を探しているところだったふたりは、半ば恩を着せるような形で圭一の部屋に同居するようになった。
圭一はヤクザからの依頼で敵対組織に盗聴器を仕掛けるなどの仕事をしていたが、ある日、銃もナイフも使わずに組長三人を殺せるヒットマンを手配しろという無茶苦茶な命令を受ける。逆らえば殺される。そんな圭一に、紅鈴と欣治はまさに自分たちにうってつけだと腰を上げるのだが──。
ヤクザの抗争に巻き込まれ、さらには紅鈴と欣治の正体を知る何者かも動き出す。欣治はなぜ闇神になったのか。『妖の華』ではすでに死んでいた欣治にいったい何が起きたのか。それらの謎が解かれると同時に、闇神とは何なのかという存在そのものの謎へも切り込んでいく。
前作でほのめかされるだけだったことが明確になり、こんな事情だったのかという驚きと、これが知りたかったという満足が交互に押し寄せた。「組長三人殺し」とはこういう事件だったのか、圭一とはこういう人物だったのか、前作では追憶の中にしかいなかった欣治はこんなカッコいいヤツだったのか──まるで答え合わせをしているかのような楽しみに満ちている。これが、刊行順に読んだ方がいいと言ったひとつめの理由だ。
そしてふたつめの理由は、作者の成長がはっきり見えるということ。読み始めて早々に「小説がめちゃくちゃ上手くなってる!」と気付くだろう。前作もフルスロットルで駆け抜ける面白さに満ちていたが、本書には前作には薄かった「緩急」が巧みに使われている。大きな動きのない、日常のなんでもない場面が、登場人物のひととなりを絶妙に表し、彼らと読者をぐっと近づけているのである。欣治が司馬遼太郎や栗本薫の長尺の小説を読んでいたり、紅鈴がUVカットの商品にハマったり。山を好む欣治と都会を好む紅鈴。ネット上のマップ機能に目を輝かせる欣治と携帯電話も扱えない紅鈴。ユーモラスな会話も多々あり、ああ、こういう人たちなんだというのがくっきりと浮かび上がる。そのため、紅鈴にとってなぜ欣治が特別な存在だったのか、圭一との関係も含めて、読者が頭だけではなく心で納得できるのだ。
喩えるなら、前作は大型スクリーンで展開される迫力満点の映像を眺めるような読書だったのが、今回は紅鈴や欣治や圭一がまるですぐ隣にいるかのような、歴史と背景と感情を持った人間(ではないのだけれど)として浮かび上がってくるのである。
十七年は無駄ではなかったとは、そういうことだ。本作にもヤクザや警察、さらには紅鈴を追う闇神たちまで登場し、さまざまな要素が詰め込まれているという点では前作と変わらないのだが、そのバランスが格段にこなれてきている。その結果、本書に込められた最も大事なテーマが、夾雑物(きょうざつぶつ)なしに読者の胸に届くのだ。そのテーマとは何か。
生き続ける悲しみ、である。
闇神は不老不死だ。だが殺す方法がないわけではない。実際にその方法を使って、紅鈴は闇神たちを殲滅(せんめつ)した。そして欣治も命を落とす。さらには、かつて紅鈴を闇神にした存在もまた、紅鈴の目の前で死んでいる。
四百年という長い時を、その正体を悟られぬように生きてきた紅鈴。そんな紅鈴が初めて得た仲間であり姉弟であり恋人だった欣治の存在はとても大きなものだった。本当なら彼女たちの関係は永遠に続くはずだったのに、そうはならなかった。その後悔。その喪失。
紅鈴の、こんな言葉がある。
〈永遠の命は、約束されたものでは決してなく、一日一日、守っていくものだと、分かっていたのに。ちゃんと、知っていたはずなのに〉
これは人間も同じだ。いや、紅鈴を襲った喪失感は、いつか人は必ず死ぬとわかっている人間の別れより大きかったのではないか。欣治を仲間にしたこと自体が本当に正しかったのかという後悔も、もしかしたらあったかもしれない。その悲しみを、後悔を、紅鈴は背負って生きる。だからこそ『妖の華』の最後で、紅鈴はあのような行為に及んだのではないだろうか。
主人公を不老不死の吸血鬼にした意味はここにある。
作者の成長を感じるためにも、答え合わせの楽しみのためにも、刊行順に読むことをお薦めしたが、ここまで書いて少し考えが変わった。時系列で読むと、初読の時には掴めなかった紅鈴の深い悲しみや後悔が『妖の華』から滲み出すのだ。彼女がどれほど大きな喪失の中でヨシキと出会ったかわかるのだ。
最初に『妖の華』を読んで、次に『妖の掟』を読んで、そしてぜひ『妖の華』に戻っていただきたい。最初とは違う味わいと理解が、あなたを待っていることと思う。これはシリーズならではの醍醐味だろう。
第二作まで十七年待たされたが、このあとは嬉しい予定が既に決まっている。まずは江戸時代を舞台に紅鈴と欣治の出会いと彼への「血分け」を描く『妖の絆』がこの文庫と同時期に刊行される。そしてさらには、続編などあり得ない終わり方をしたはずの『妖の華』のその後が、現代~近未来編として構想されているというのだ。その名も『妖の群(むれ)』。いったいあそこからどうやって……?
実に楽しみでならない。誉田哲也の原点であり、成長の過程であり、到達点であるシリーズである。ぜひ、この紅鈴ワールドを隅々まで味わっていただきたい。