第二作『無防備都市』では極悪ぶりがさらにエスカレート。警察組織の不祥事を取り締まる監察官を、なんと脅迫するのである。その手口は悪辣のひと言。監察官の美しい妻をたぶらかしてラブホテルに連れ込み、濃厚な情事の模様を密かにカメラに収め、そのポルノまがいの写真を夫に突きつけ、某不良刑事の収賄事件を闇に葬れと脅す。屈辱に塗(まみ)れた監察官はこう言う。
「正気なのか、きみ。こんな汚いまねが、よくできるな。それでも警察官か」
返すハゲタカの台詞が強烈だ。
「正気の人間なんか、この世のどこにも存在しない。しかも、おれより汚いことをやっているやつらは、はるかにたくさんいる。警察にも、警察以外の世界にもな」
彼の、ニヒリズムに彩られた人生観が透けて見える言葉である。元より、ハゲタカの内面描写は徹底して排除されているため、その常軌を逸した言動の真意は推し量るしかない。それ故、周囲の人間は激しく困惑し、右往左往するのだが、ハゲタカはまったく意に介さない。いつ、いかなる時も超利己主義を貫き、己の非情なルールに従って敵を痛めつけ(必要とあらば殺し)、身内を騙し、献身的に尽くす愛人をも殴り飛ばす。
そして第三作の本書『銀弾の森』。逢坂さんの筆はハードボイルドの極北を目指すがごとく、凍てついた暗黒路を疾走する。
ハゲタカは渋六と敵対する極道組織[敷島組]の大幹部、諸橋征四郎を[マスダ]に売り飛ばし、妻の諸橋真利子をモノにすべく、神をも恐れぬ下衆(げす)な行動に出る。
卑劣な策略に嵌まった夫が酷いリンチを食らい、嬲り殺しにされているとき、あろうことかハゲタカはその自宅に押し入り、激しく抵抗する妻と強引に関係を結ぶのである。その二十八ページにも及ぶ凌辱の詳細は本書に譲るが、まあえげつないこと。まず現金百万入りの封筒を真利子に突きつけ、こんな台詞をかます。
「諸橋がこの金で、何を売ったか知りたくないか」
動揺する貞淑な人妻に、止(とど)めの言葉を放つ。
「おまえだ。諸橋はおまえを、百万で売ったんだ。このおれにな」以後、怒濤のごとく、でまかせを並べ立てる。
「おまえの亭主をマスダの幹部に引き合わせて、敷島組が身売りする段取りをつけてやった。その礼がおまえ、というわけだ」
「組の利益を優先させるなら、マスダと手を組むしかないのさ」
再度、書くが、同じ時刻、夫は南米マフィアのアジトで嬲り殺されているのである。
人妻の熟れた肉体を存分に蹂躙し、コトを済ませたハゲタカが、最後の仕上げ、とばかりに侮辱する行為も、ここまでやるか、と呆れてしまうあくどさ。さながら、真っ赤な傷口に塩とトウガラシを擦り込み、バーボンをぶっかけるような残酷な仕打ちである。
その後、ハゲタカはコロンビアからやって来た凄腕の女とやりあい、蹴り足を抱えて地面に叩きつけ、横っ腹に強烈なトーキックを(二発も!)見舞ってKO。当然ながら、相手が女性だろうと手加減は一切無し。
次いで、ハゲタカの悪行を暴くべく、腕を撫(ぶ)して警視庁からやって来たキャリア管理官に対し、女性記者との不倫を暴き立て、ぐうの音も出ないほどとっちめて返り討ちに。
当たるを幸いなぎ倒す、ハリケーンのごとき暴れっぷりだが、クライマックスは突然、やってくる。
マスダと対峙したハゲタカは、日系マフィアとの殺し合いを経て、諸橋真利子と向き合うことに。真夜中、場所はJR中央線の土手の上。夫の形見の拳銃を手に、真利子はハゲタカに迫る。が、意外にも愛憎半ばする切ない女心を吐露し、激情に任せて夫の仇(かたき)にむしゃぶりつく真利子。その後の、衝撃としか形容しようのない展開は、ハゲタカこと禿富鷹秋の真の凄味を伝えて余すところがない。
わたしは二十年前、この件(くだり)を初めて読んだとき、真利子に対してとった、ほんの一瞬の行動も含めて、ハゲタカの人智を超えた不可解さ、不死身のメンタルと肉体に激しく心を揺さぶられた。そしてその、感動にも似た思いはいまも変わらない。
ラスト、ハゲタカにしては温かなシーンで幕を閉じるが、それは続く第四作『禿鷹狩り』の、読む者をあまねく驚愕の淵に叩き込んだ大悲劇を際立たせる、ほんの箸休めに過ぎない。
希代の極悪刑事の乱暴狼藉はまだまだ続く。堪能されたし。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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