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- 2023.04.20
- 書評
ドイツのベストセラー作家が放つ「多重どんでん返し」に巻き込まれろ!
文:千街 晶之 (ミステリ評論家)
『座席ナンバー7Aの恐怖』(セバスチャン・フィツェック)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
第九作『乗客ナンバー23の消失』(二○一四年)の主人公マルティン・シュヴァルツはベルリン警察の囮捜査官だ。彼は五年前、大西洋横断客船〈海のスルタン〉号で無理心中というかたちで妻子を失っていたが、実は心中ではなく、しかも妻子が生きている可能性もあると知らされて〈海のスルタン〉号に乗り込む。だが、船上では次々と奇怪な出来事が起こり、謎は深まる一方である。客船という逃げ場のない閉鎖空間を舞台に、恐るべき事件と陰謀が渦巻く臨場感満点の展開は船に乗るのが怖くなるほどであり、日本でも各種年間ベストテン選出企画で上位にランクインした。
二○二三年二月現在、邦訳は本書を含めて七作だが、実はもうひとつ、著者の作風を堪能できる隠れた逸品がある。二○一八年公開の映画『カット/オフ』だ。未訳の原作Abgeschnitten(二○一二年)はフィツェックとドイツの法医学者ミヒャエル・ツォコスの合作であり、監督・脚本はクリスティアン・アルヴァルト。娘を誘拐された検視官ポールと、暴力的な元彼から身を隠すため逃げ込んだ孤島で死体を発見した漫画家リンダという二人の主人公が直面する窮地が、島の内と外の二元中継で繰り広げられる構成だ。著者ならではの多重どんでん返しを、刺激的な映像で観られるところにこの映画の醍醐味がある。
こうして振り返ると、著者の作品に登場する主人公の殆どは精神科医か警察の交渉人である(退職した者も含む)。普通ならここまで似た設定の主人公ばかり出せばマンネリの誹りは免れない筈だが、著者の場合、その点についてはもはや開き直った感があり、その代わりに一作ごとの趣向の新奇さで攻めてくるタイプなので、主人公の設定については「またか」と苦笑しながらも受け入れざるを得ないところがある。
『乗客ナンバー23の消失』の「訳者あとがき」でも指摘されている通り、著者の作品世界はリンクしているらしく、『治療島』の主人公ヴィクトル・ラーレンツの名はその後複数の作品で言及されるし、『ラジオ・キラー』に登場したラジオ局制作部長のディーゼル、『サイコブレイカー』に登場したミュージシャンのリーヌスなど、その後再登場したキャラクターも何人かいる。また、『ラジオ・キラー』のイーラ・ザミーンは、『乗客ナンバー23の消失』ではマルティン・シュヴァルツの同僚として名前のみ言及されている。ただし、ジェフリー・ディーヴァーの作品におけるリンカーン・ライムやキャサリン・ダンス、コルター・ショウのようなシリーズ探偵は出てこない。主人公が常に巻き込まれ型なのは、シリーズ探偵の存在が醸し出す一種の安心感が、フィツェック流のサスペンスの醸成とは相容れないからと思われる。
また、邦訳のある作品限定でいうと、ほぼ例外なく自分の家族、特に子供が人質に取られている(あるいは、子供に関する重要な情報を握られている)ことが主人公の行動の理由付けになっている点が挙げられる。『治療島』のラーレンツは失踪した娘の行方を知りたがっているせいで事件に引きずり込まれるし、『ラジオ・キラー』のイーラは長女に先立たれているのみならず、次女がラジオ局立てこもり事件に巻き込まれていることを知る。脅迫者からの取り引き材料として息子の死の真相をぶら下げられる『前世療法』のシュテルン、記憶喪失ながら娘がいたらしいことは憶えている『サイコブレイカー』のカスパル、犯人を追う最中に息子が病気になったことを知る『アイ・コレクター』のツォルバッハ、生死不明の妻と息子の行方を追う『乗客ナンバー23の消失』のマルティン、娘を誘拐された『カット/オフ』のポール……と、すべての作品の主人公がそうなのだ。
それを踏まえた上で本書を読むと、親子の情から事件に巻き込まれてしまう主人公という著者の作風の特徴が、ここでは更に強調されていることがわかる。というのも、娘を人質にされるマッツのみならず、人質になったネレのほうも、出産まで間もない妊婦という親の立場だからだ。主要視点人物のうち二人までが、我が子の危機に直面した親として犯人と対峙するわけである。
本書には主要視点人物がもうひとりいる。マッツの元友人の精神科医フェリ・ハイルマンだ。マッツとは疎遠になり、今日まさに結婚式を挙げようとしていた彼女だが、マッツからの連絡でネレの窮地を知り、その探索に乗り出す。三人の主要視点人物中、犯人からの監視なしに自由に動き回れる唯一の存在ながら、彼女もまた安全地帯にいるわけではないことは、読み進めていけば明らかとなる。
また、本書は密室状況の乗物を主な舞台としている点で、『乗客ナンバー23の消失』と対を成すような設定の作品となっている(邦題も当然、その点を意識したものだろう)。だが、自分の決断が六百数十人の乗客・乗員全員の生命を左右するという点では、マッツはこれまでの作品のどの主人公よりも苛酷な立場に置かれているとも言える。過去の著者の作品を読んで、主人公がラストでハッピーエンドを迎えるとは限らないということを知っているファンならなおさら不安になるだろう。だが、作中にばら撒かれた夥しい謎は必ずすべて解明される。その点は安心していい。
二○二三年二月現在、著者の作品は本書を最後に邦訳が途絶えてしまっている。だが、未訳作にも面白そうなものがまだまだ残っている。どんでん返しのドイツ代表選手が繰り出す作品世界の全貌が明らかになるのを一日千秋の思いで待ちたい。
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