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白石一文の最新作『投身』が問いかける、本当に面白い小説とはなにか?

白石一文の最新作『投身』が問いかける、本当に面白い小説とはなにか?

文:タカザワ ケンジ

『投身』(白石 一文)

出典 : #WEB別冊文藝春秋
ジャンル : #小説 ,#エンタメ・ミステリ

人生と世界の営みの深淵について、深い思索とともに熟練の筆で物語を紡ぎ続けている白石一文しらいしかずふみさんの、最新書き下ろし長篇『投身』。最高の人生とはなにか。永遠の快楽とはなにか。人生の究極の問いへの白石流のアンサーとなっている本書へ、書評家のタカザワケンジさんがいち早くレビューを寄せてくれました。


 面白い小説とは何だろう。白石一文の小説を読むたび浮かぶのはそんな素朴な疑問だ。ページをめくればすぐにその世界に引き込まれ夢中になるのだが、それがなぜなのかがわからない。
 『投身』は二十以上年齢が離れた男と女がスナックで飲んだ帰りに月を見るところから始まる。主人公は女性のあきら。四十九歳で、「ハンバーグとナポリタンの店 モトキ」の店主だ。男性は二階堂。不動産業を営んでいたが、いまは息子に代を譲って引退し、悠々自適の生活を送っている。物語はこの二人の恋愛を描いたものではない。二人は二階堂の息子にその関係を疑われてはいるが、どうやらそういう関係ではない、、、、らしい。

 二階堂は今度の週末に話があるから時間をくれと旭に頼む。「例の洗車男が来ない日」と。洗車男とは旭の妹、うららの夫、つまり義弟の藤光ふじみつである。藤光は洗車を趣味にしていて、週に一度は旭の家の駐車場に洗車をしに来る。では、その洗車男、藤光と旭の間に何かあるかといえば、そうでもないらしい。妹の夫なのだから当然といえば当然だが、白石一文の作品では、誰と誰とがどうなっているかに安心はできないのだ(そして、それも白石作品の面白さの一つである)。二人の関係はただ洗車とその場所を提供する関係でしかないらしい。しかしそれも奇妙なことではある。麗は夫が姉のもとを訪れることを警戒していないのだろうか。

白石一文最新作『投身』

 さて。読者諸賢はこの話がどう展開していくと思われるだろうか。私にはこの小説がどこに向かうのかさっぱりわからなかった。しかし、面白いのである。続きが気になって仕方がない。一度、昼休憩をとっただけでほとんど一気に読み切ってしまった。
 なぜだろう。

 一つはディテールの面白さだ。洗車マニアを自称する藤光の洗車への情熱とこだわり。「洗車はくもりの日」という常識(?)は初めて知った。あるいは、遺産相続をめぐるトラブルの委細。または、ほんの少しの手間でハンバーグとナポリタンを美味しくする方法。実名と虚構を混ぜながら、日常からちょっとした話題を引き出してくる。マジックのようなあざやかさだ。
 もう一つはさりげなく提示される謎。二階堂は旭と何か契約を結んでいるらしい。旭はなぜハンバーグとナポリタンだけの店をやっているのか。ほかにも謎といえるのかどうか、という程度の「?」がいくつも浮かんでは消えていく。それが気になって、先へ先へとページを繰ってしまうのだ。
 三つ目はヒューマンインタレスト。やはり人間は人間に興味を持つし、小説は基本的に人間を描いたものである。旭はもちろん、二階堂も藤光も興味をそそる人物だが、ほかにも気になる人物が登場する。
 二階堂の娘、陶子とうこはときどきバーベキューをやるために旭の家の庭を借りに来る。旭の家は二階堂の持ち物で、陶子は大家の娘なのである。とはいえ、そのような申し出に応えるにはそれなりの理由があり、また、そんな申し出をしてくる陶子という人物も常識からは少しズレている。だから引っかかる。
 旭がつきあっていた男たちも少々変わっている。リッチは旭の初めての相手で結婚まで考えるほど深くつきあったが、性行為で求めるものが少しずつエスカレートしていく。ゴローは十三歳年下。旭は身体だけの関係だと割り切っていたが、ゴローはそうではなかった。旭は呼べばすぐに飛んでくるゴローを「犬みたいだな」と思っていたのだが、二人の関係は意外な結末を迎える。
 最後の一つが、心に残る重力を持った言葉だ。旭の父、元基もとき(旭の店の名前の由来でもある)は、書道の才能を持ちながら、あるきっかけで筆が握れなくなる。そこで父が得た教訓が「一つ貰えば、一つ失う」ということだった。二階堂が見えるという、「黄色の水が滔々と流れている」淵も忘れられない。二階堂はそれが見えてくると、その淵に身を投げたくなるという。そこには人生の秘密というべき何かがありそうなのだ。

 白石一文の多くの作品がそうであるように、この小説もジャンル分けに適さない。ミステリアスな要素もあれば、ゾッとするようなエピソードもあり、吹き出してしまうような笑える一節もある。それらはすべて人生の中でたびたび私たちが遭遇し、割り切れない思いを残したまま心の中に沈殿させている何かであるように思う。
 人はいつか死ぬ。
 その現実を十分すぎるほど知りながら、なおも生きたいと思う私たち。崖の向こうに虚無が広がっているとわかっていても、時の流れに押されて進まざるを得ない、その恐怖。死をほんの一時、忘れさせるほど強烈な快感をもたらす性。そして、その性によってつながる縁もあれば切れる縁もある。『投身』を読んでいるとそんな言葉たちが浮かんでくる。
 面白い小説とは何だろう。その答えはわからない。わからなくていいのだと思う。わからない限り、何度でも同じ小説を読むことができるのだから。わかってしまったものほど退屈なものはないのである。


『投身』(白石一文・著/文藝春秋刊)
介護に疲れて次々と男を買う女、妹の夫との際どい週末のひととき、両親・祖父母が遺した消えない禍根、忘れ得ぬ男との別離と心に刻まれた深い傷跡。そして、死にゆく男が示した奇妙な交換条件……。
いくつもの人生が響き合い、絡み合う。そして物語は、衝撃のラストへ。
ラスト4ページの先に、あなたは何を見るだろうか?
人生と世界の営みの深淵を追い続ける作家が到達した、新たな極点。


◆プロフィール
タカザワケンジ

1968年群馬県前橋市生まれ。文藝書の書評、インタビューのほか、『挑発する写真史』(金村修氏と共著)など写真評論も行っている。


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