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作家の羽休み――「第79回:鳩との闘い③」

作家の羽休み――「第79回:鳩との闘い③」

阿部 智里


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

☆前回までのあらすじ

 賃貸の仕事場を鳩の出会い茶屋にされているが、このままだとマジで奴らのマイホームにされかねん。何とかしなければ……!

 鳩は見られることを嫌がる、という俗説に基づいた対策は失敗に終わりました。

 ゴマフアザラシのぬいぐるみのつぶらな瞳と敗北者たる作家の目の前で鳩はメイクラブにいそしんでいますが、ここで諦めるわけにはいきません。

 偉大なるインターネットにより、私は次なる対策を得ました。

 なんでも、鳩は強い匂いが苦手とのこと。

 例に挙げられていたのは、漂白剤、お酢、タバコのニコチン臭、そしてローズやミントなどの香りでした。前者三つは人間にとっても嫌な臭いですし、仮にベランダで振りまいたらそれだけでご近所迷惑になってしまいますが、ローズやミントなら人間には嬉しく、鳩だけにダメージを与えられそうです。

 しかもおあつらえ向きなことに、我が家には持て余しているローズウォーターがありました!

 以前、クロアチア土産のローズウォーターが気に入ったので、似たようなものを通販で購入したところ、全く似て非なるもの(クロアチアのローズウォーターはおそらくノンアルコールでしたがこちらは当方の確認不足でアルコールが入っていました)が大容量で届いてしまい、「どうしたもんかな~」と持て余していたのです。ローズウォーターは文字通り、昔から化粧水や消毒などに使われていた薔薇の香りのするお水です。鳩対策に香水を使うと匂いがきつすぎるかもしれませんが、これならぴったりではありませんか!

決死の闘いは続く……(画・阿部智里さん)

 私はローズウォーターを空のスプレー容器に入れ替え、早速ベランダに出向き、しばしば鳩の止まり木と化している手すりに吹きかけました。

 ぶっちゃけて言うと、シュッと一発プッシュした瞬間、私は「あ、やべっ」と思いました。

 この時使ったスプレー容器は、化粧水用のものでした。

 つまりどういうことかと申しますと、どう考えても、このだだっ広いベランダをローズの香りで包み込むには噴霧範囲が狭過ぎるのです……!

 顔に直接吹きかけるならちょうどいいんですが、手すりの面積って意外と広いんですよね……。

 え、待ってこれ顔何十個分ある? と焦りました。

 焦りはしましたが、容器に入れちゃったものは仕方ありません。

 私はスプレーの中身がほぼなくなるまでシュッシュコシュッシュコひたすらプッシュし続けました。途中で人差し指が痛くなったので親指に代えたり中指に代えたり左手を使ったりしましたが、まあ、終わった時には普通に両手が痛くなっていましたね。原稿を頑張ったせいで腱鞘炎になりましたとかならともかく、「鳩避けのために化粧水のボトルでベランダにローズウォーターを振りまいた結果」とかアホみたいな理由で指を痛めたくなどなかった……。

 普通に考えて最初の「あ、やべっ」の時点で少々の手間を惜しまずにもっと大きなスプレー容器に入れ替えるべきでしたね。後で悔やむから後悔って言うんですけども。

 まあとにかく、人間にとってはフローラルな香りに包まれたベランダも、きっと鳩さんにとっては開店直後のカラオケ店に行ってみたらシンナーの香りに包まれた個室に通されちゃった……みたいな感じに仕上がっているに違いありません。

 流石に、どんなにアツアツな付き合い立ての学生カップルみたいな鳩さんでも、滞在すればするほど気持ち悪くなるような空間でイチャイチャ出来るわけがねえ。仮にも野生の生物なんだから脅威には敏感なはずだし、違和感を覚えればすぐに来なくなるだろうさ、と私は一息ついたわけです。

 おいなんかこの言い回し聞き覚えあるぞと思ったそこのあなた、正解です。

 全く何の意味もありませんでした。

 ローズウォーター噴霧後、窓を開け放って仕事をしていると、カチカチ……と金属がこすれるようなかすかな音が聞こえました。

 本当に小さな音でしたので、最初は外の工事現場とかの音かと思って無視していたのですが、カチカチ……カチカチ……と何度も響くそれを聞いているうちに、なんかやけに音が近くないか? と気付きました。

 まさかと思ってレースカーテンを開けた瞬間――奴らと、目がばっちり合いました。

 なんということでしょう。ほんの数分前に私が指を犠牲にしてローズウォーターをたっぷり噴霧した手すりそのものの上で、鳩ップルは仲良くデートをしておられたのです。

「貴様ァ……!」

 私は、ついに人間の尊厳をかなぐり捨てて叫んでしまいました。

 驚いて二羽は飛び立ち、でも遠くに行かずにすぐ目の前の電柱に降り立つと、「やあねえ何あのひと!」「はやくどっか行って欲しいもんだね」と言わんばかりにこちらを睨み返してきたのです。

 私は頭を掻きむしりました。

 何!? なんで君達そんなにガッツがあるの!? 私が知らないだけでシンナー臭い個室でも付き合い立てほやほやの学生カップルは時間いっぱいまで滞在しちゃうものなの!? 私には何も分からない……!

 悔しいですが、ローズウォーターと私の指を無駄にしただけでこの作戦は終わりました。

 なんとか、次の手を考えなければなりません。

☆またまた次回に続く――!


©阿部智里

阿部智里(あべ・ちさと) 1991年群馬県生まれ。2012年早稲田大学文化構想学部在学中、史上最年少の20歳で松本清張賞を受賞。17年早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。デビュー作から続く著書「八咫烏シリーズ」は累計130万部を越える大ベストセラーに。松崎夏未氏が『烏に単は似合わない』をWEB&アプリ「コミックDAYS」(講談社)ほかで漫画連載。19年『発現』(NHK出版)刊行。「八咫烏シリーズ」最新刊『追憶の烏』発売中。

【公式Twitter】 https://twitter.com/yatagarasu_abc

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