家康を救った豆味噌のスタミナ、終戦直後の食糧欠乏期にGHQも注目した納豆のパワー! 人類の英知を「発酵博士」が解説!
第二次世界大戦は日本の敗戦で終った。国民は戦争の恐怖からとりあえず逃れたものの、それからの生活は困窮を極めた。とりわけ大戦の終盤から終戦後しばらくの間は、食糧事情が極度に悪化し、普通なら捨てていたものまでさまざまに工夫して食べていたことが、国民からの生活体験発信や政府機関と地方自治体などの調査でわかっている。今の私たちにはとても信じられないことであるが、それが事実であり、ここにも戦争という蛮行の残忍さがあらためて物語られているのである。
その幾つかの例を述べてみよう。まずキャベツの芯の食べ方では、繊維を切るように横に細かくきざみ、塩もみや塩漬け、煮物、油炒めなどしてからご飯に混ぜ、米の増量を図る。トウモロコシの芯は、薄く切ってから水煮し、やわらかくなったところでご飯に混ぜる。また煮汁はやや甘いので砂糖の代用に使える。カボチャやスイカの種は、干してから煮て堅い皮を剥ぎ、中から出てきた種髄を落花生の代用にする。ミカンの皮は干してから炒ってすりつぶし、それを塩で味付けし、振りかけの材料としてご飯にかけるか水団に入れる。びっくりするのは鋸の屑粉(木屑)の食べ方で、粉末にしてから米粉や小麦粉、あるいは雑穀(稗、粟、蕎麦、黍、鳩麦など)の粉に二割ぐらい混ぜる。蚕や昆虫の蛹はそのまま佃煮にするか、干してから炒り、それを粉にして穀物に混ぜたり団子にする。イナゴ及びバッタは羽を取り、熱湯に入れてから脚を除き塩炒りか佃煮にする。ネズミは小鳥のような味で美味いが、骨には人間に害をおよぼす成分があるので捨てる。肉は串焼きにしたり煮たりして、害虫や菌を殺してから食用にする。ざっとこのようなことが実際に行われてきたのである。
戦争がもたらしたこのような食糧の欠乏は、何も日本で起きた第二次世界大戦での食糧欠乏の危機ばかりでなく、たったいま世界で起っている戦争でも現実なのである。その例は、ロシアがウクライナに侵攻したこのたびの戦争によって世界有数の小麦輸出国である両国からの流通が混乱し、世界の小麦市場価格は史上最高値まで押し上げられた。そのため両国の小麦に頼っていたアフリカや中近東、西欧、そして日本を含むアジアの国々でも、市場が大きく混迷している。このことは小麦ばかりでなく、大麦やトウモロコシ、両国が大半を生産するひまわり油などでも例外ではない。
また農業に直接関わる肥料をつくるための天然ガスの価格も戦争のために急騰し、さらに両国は化学肥料の生産大国であることも世界の農業生産力に大きな影響を与えている。一方、ロシアからの化石燃料も大幅に減少したために、食料等を輸送するための船舶の燃料費も高騰するなど、とにかく戦争が食糧事情に与える混乱は極めて甚大かつ深刻なものなのである。
発酵食品と戦争の密接な関係
日本での第二次世界大戦前後の食糧事情をよく語るものに食糧の輸入量や消費量、生産量の比較がある。例えば食糧全体の輸入率を見ると、戦前に比べ終戦直後はその二〇%にまで減少(約八〇%の減少)、砂糖の輸入量は戦前の八〇万トンから終戦直後は一八万トンまで減少。漁獲高は戦前に比べ終戦直後は半分以下に、また米の生産量も戦争前後では半分以下に減少している。一方、増えたものは皮肉なことに、軍消費の米の量で戦前は一六万トンであったのが終戦時には七四万トンになっている。戦争中に陸軍が兵士一人当りに供給した食品からのエネルギー量は一人当り一日約四〇〇〇キロカロリーであったが、民間人は約二二〇〇キロカロリーと半分、そして終戦直後の民間人摂取カロリーはさらに下がって一六八〇キロカロリーで、これは飢餓の水準に近いものであった。
以上のような事実を踏まえて、私は発酵学を修めてきた立場から戦争がもたらした発酵関連産業の動向をとても気にしていた。というのは、当時の日本人の食生活では、味噌、醬油、酒、漬物、納豆、日本独自のパンであるコッペパン、甘酒、味醂、鰹節などの発酵食品が必要不可欠なものであったからである。また、発酵という目に見ることのできない微生物の生理作用を戦争に利用していたのではないか、という興味も抱いていたからである。そこで多くの文献をたどりながらそれらの方向から調べてみると、実にさまざまな事がわかったので、それをまとめたのが本書である。多くの人は「戦争」と「発酵」はまるで違った領域なので関係など無いのでは、と思うだろうが、実は発酵食品は戦争によって大きく変動し、さらに発酵現象は戦争に利用されたことなどがわかった。
さて「戦争」を『広辞苑』(岩波書店)で引くと「(1)たたかい。いくさ。合戦。(2)武力による国家間の闘争」とある。また『大百科事典』(平凡社)にはさらに詳しく、次のような解説が述べられている。「戦争とはある政治目的のために政治、経済、思想、軍事的な力を利用して行われる政治集団間の闘争である。それが組織的な破壊の企てであるかぎり、ひとの死を伴う」とある。
戦争についてはこれまで多くの政治家や戦略家、社会・人文学者たちがその定義を定めてきたが、そこにはなにほどかの真実が語られてはいるものの、同時に戦争の実態を全て汲み尽くすまでには至っていないように思われる。それは戦争があまりにも複雑な人と人、国と国との現象だからで、戦争はいかなる場所、いかなる時代にせよ、その時点の文明や社会の状態により内容が大きく左右されるからであり、従って戦争を一般的に定義したところで、全てを語ったことにはならないのかも知れない。
そこで端的に戦争とは何かを語れば、兵力による国家間の武力闘争あるいは一国内における内戦や反乱である。これを遂行するとなると巨額な戦費を伴い、国民は慢性的な租税の過重負担に陥っていく。その結果、生活にさまざまな制限が加わり、個人の尊厳を著しく蹂躙することにつながるのである。
例えば近代の大戦をみると、陸海空軍等の軍隊のみの武力戦だけでなく、一般国民を広く巻き込む総力戦の様相を呈するものとなっている。そうなると、謀略戦、経済戦、貿易戦、食糧戦、補給戦、精神戦なども包括しながら、社会や経済など幅広い分野に破壊的な影響を与える。そして国民の人的被害やインフラの破壊、経済活動や教育などまで阻害され、社会のあらゆる部分に物的、精神的被害を与えることになるのである。
第一次世界大戦や第二次世界大戦では、戦争はただの武力戦に終らず、国家がその経済力や技術力などの国力を総動員する「国家総力戦体制」となった。そのため全国民がそれに耐えなければならず、国民の生活も苦境に追い込まれていく。
どん底に落ちた日本人の食生活
満州事変(一九三一)以降一五年にわたる戦争の時代、戦地で戦ったのは日本軍の兵隊だったが、それを後ろで支えたのは日本国民であった。戦果を伝える報道に沸き立つ一方、家族や身近な人が召集され、物資も次第に乏しくなっていく。一九三七年に日中戦争が始まると近衛文麿内閣は「挙国一致」を国民に呼びかける。そして翌年(一九三八)「国家総動員法」が成立し、軍事力、経済力、人的能力のすべてを国が管理し投入する総力戦体制となって、国民の生活は一層締めつけられることになった。一九四〇年に大政翼賛会が結成され、同年組織された十戸を単位とした隣組を指導下に置いて、配給、伝達、防空、監視、防諜などの役割が課せられるようになった。一九四一年一二月のアメリカとの開戦を機に、大政翼賛会は活動の幅をさらに広げ、総動員体制はますます強圧的なものになっていく。例えば一九四二年には国は「金属回収令」を出して家庭から金属類は姿を消し、竹や木、陶器などを用いた代用品がほとんどとなった。
戦争が始まると、日が経つにつれて国民の日常生活はさまざまな分野で統制が行われ、あらゆる面で軍需が優先されるようになる。「贅沢は敵だ」という標語が街にあふれ、戦費調達のため国債の買い取りや貯蓄が奨励された。一九三八年には綿糸や重油などが切符制となり、やがて米、砂糖、卵、醬油、味噌、塩、石鹸、煙草、野菜などは配給制となった。一九四二年からはほとんどの生活物資が配給制になり、配給通帳や配給切符なしでは物品を購入することができなくなった。一九四四年から一九四五年の終戦(敗戦)近くになると、米の代用品として小麦粉や大豆、芋、雑穀類が登場し、国民は空腹をかかえて勤労動員や農作業、食糧の調達に追われ、そのうえ頻繁に空襲警報が鳴って寝不足も加わり、いよいよ国民全体が疲れ果てていった。
「配給通帳制」は、国から支給された通帳を持参すれば配給所で商品を安価に購入できるという制度で、米を例にすると配給量は当初、大人一人当たり一日三三〇グラムであったが、一九四五年は大凶作と重なって配給量はそれまでの一割減となり、米の質もかなり低下した。一方「切符制」は、一人ずつ点数つきの切符が与えられ、交換所に行くとその点数内で物品を買うことができるという制度である。配給通帳と同様、切符は「買う権利」を示したもので、代金は必要となる。そしてついに戦争末期には、切符があっても現物が無いという事態が頻繁に起こった。
ここに昭和一九年当時の一般家庭の一日の献立例(『婦人之友』一月号)がある。この家庭は首都圏に住む六人家族(主人、主婦、小学生二人、幼児一人、お手伝い一人)、主人は会社勤めで、さしずめ中流家庭と推察できる。この食事がつくられたのは配給前日のため、材料が底をついた状態である。まず朝食は味噌汁(大根)とふりかけ、昼食は混ぜご飯(大根、里芋、ねぎ)、夕食は雑炊(大根、小松菜、ねぎ)である。蛋白質は極度に少なく、食生活はどん底であった。
「一、お粥をすすって供出して戴いたお米です 農家の皆さん有難うございます
二、炎熱酷寒の中にも強く戦ひ抜いて得られたお米です 誓って粗末に致しません
三、腹一杯は勿体ない 誓って節米食ひ延のばし致します 有難うございます」
この中で当時の食事情を察知させるのは、一にある「お粥をすすって供出して戴いたお米です。農家の皆さん有難うございます」と書かれているところである。日本国中、どこの農家でも供出に苦しみながら、お粥や雑炊を食べて耐え忍んでいたことが凄まじいからである。そして「腹一杯は勿体ない」と節食を呼びかけている姿にも胸を打たれるのである。
とにかく戦争は悲惨である。経済も文化も教育も食糧生産も何もかも停滞させ、そして人の命までも奪ってしまうのだから残酷にして酷いものなのだ。本書では「発酵」という人類の知恵と豊かな発想によってつくり上げられた発酵文化も、戦争によっていかに歪められまた利用されたのかについて検証をしてみることにした。
一方、「戦争」という言葉があるのと同じく日本には古くは「合戦」という言葉もある。『広辞苑』には「敵・味方が出合って戦うこと」あるいは「たたかい。いくさ」とある。また『日本大百科全書』(小学館)には「敵味方の両軍が軍場に出合って戦闘を交えること。合戦の語はすでに『将門記』にみえるが、戦闘の規模や方式は武器・武具の発達や時代の進展に伴って大きな変化を遂げた」ともある。さらに『精選版日本国語大辞典』(小学館)には合戦は「(「こうせん(かふせん)」の変化した語)敵味方が出会って戦うこと。戦い。戦闘」とある。
ということは合戦とは広義では戦争と同じであると解釈してもよいものと思う。従って本書では合戦の類に入るものもその範疇ととらえて日本国内の歴史の中から武士集団の争いや紛争、合戦などに関わる発酵食品の存在についても述べることとした。
発酵で有益な物質をつくり出す
次に「発酵」とは何かについても説明しておく。
目に見えない微生物の働きを応用して、人類は「発酵」という一大文化を創造してきた。それができた背景には、微生物の性質を知り抜いた知恵の集積があったからにほかならない。先人たちのたゆまぬ観察と豊かな発想から生まれた、この知恵の巧みさときたら、われわれ現代人の想像を遥かに超えるものがある。とにかく、発酵の世界は知れば知るほど素晴らしく、また愉しい。
『広辞苑』によると、「発酵」とは、「(1)一般に、酵母・細菌などの微生物が、有機化合物を分解してアルコール・有機酸・炭酸ガスなどを生じる過程。本態は酵素反応。酒・醬油・味噌、さらにビタミン・抗生物質などはこの作用を利用して製造する。狭義には、糖質が微生物によって酸素の関与なしに分解する現象を、また広義には、これと化学的に同じ反応過程である生体の代謝(解糖系など)、および微生物による物質生産を指す」とある。これはかなり専門的な説明で、一般の人にはなかなか理解しにくいであろう。また次のように記した書物もある。
「有機物が微生物の作用によって分解的に転化する現象。狭義には糖質が微生物によって無酸素的に分解することをいう。この現象は古くからアルコール飲料・パンその他のいわゆる醸造製品の製造に利用されてきた」(『岩波 生物学辞典』)。こちらも、やはり全体に難しいことが書いてあるが、ただ最後の「この現象は古くからアルコール飲料・パンその他のいわゆる醸造製品の製造に利用されてきた」というあたりになると、少々思いあたることがあるかもしれない。つまり、「微生物の作用による現象が、醸造製品の製造に利用できること」ということなら、味噌や酒、醬油、納豆、チーズなどの例が頭に浮かび、何となく「発酵」のイメージがつかめてくるからだ。
このように、「発酵」には、一般の人にはかなり難しい学問的な定義が与えられているが、本書ではそのような堅苦しい表現はとりあえず脇に置いておいて、要するに「微生物、またはそれらの酵素が、人間にとって有益な物質をつくり出したり有効な手段となったりすること」を発酵と言うことにしよう。
例えば、今ここに一本の牛乳があって、これの蓋をあけて数日間放置したとする。当然、この牛乳は空気中から侵入してきた腐敗菌によって汚染され、猛烈な悪臭が立ち、そこにはその腐敗菌の造った毒性物質が含まれることになる。これを飲めば嘔吐や下痢が引き起こされ、人間にとっては有益どころか有害となるのだから、これは「発酵」ではなく「腐敗」(「(1)有機物、特に蛋白質が細菌によって分解され、有毒な物質と悪臭ある気体を生じる変化」。『広辞苑』)である。
ところが、牛乳に乳酸菌という細菌が入り込み、数日間経ってみるとブヨブヨと凝固して、ヨーグルトのような、また柔らかいチーズのようなものになった。これを食べてみると爽やかな酸味とうま味があって、しばらくの間そのままにしておいても腐らない。これは、乳酸菌という細菌が作用して牛乳を一種の保存食に変えたばかりか、風味の点でも栄養の点でも格段に優れたものにしたわけで、それを総合的に考えると、人にとって価値ある有益なものに変えたのだから、この場合は「発酵」である。
あるいは大豆を例にとれば、大豆は煮てそのままにしておいたら腐敗菌の侵入で「腐敗」してしまう。しかし、これを食塩存在下で酵母や乳酸菌により「発酵」させると味噌や醬油となり、また納豆菌を繁殖させると納豆となるのである。それらのプロセスについては、後でくわしく述べよう。
さてその発酵を利用、応用した産業といえば、大方の読者は口に入るもの──チーズや納豆、味噌、醬油といった食べるもの、またはビールやワイン、日本酒といった酒類など─を連想されるであろうが、それらの発酵嗜好食品は今日の日本の発酵産業総生産額の実は二〇%を占めるにすぎない。
もっとも二〇%といっても、その中には、一社で数千億円も売り上げのあるビール会社が幾つもあるし、全国約一四〇〇軒もの日本酒メーカー、二〇〇〇社を超える味噌・醬油会社、九〇〇社近い漬物製造業、それに造酢会社、発酵乳製品会社、焼酎や味醂の会社、納豆会社などを含んでいる。それらの売上を合計すると数兆円にも達するが、それで二〇%であるから、発酵産業全体となれば、いかに規模が大きいかおわかりになるかと思う。
人類の未来を拓く発酵微生物
では、発酵嗜好品以外の八〇%を占める発酵産業とは一体どんなものであろうか。発酵の世界の多様さを知っていただくために列記すると、各種アミノ酸類製造の発酵工業、アルコール発酵工業、有機酸の発酵工業、抗生物質等医薬品の発酵工業、化学製品の発酵産業、核酸関連物質の発酵工業、生理活性物質の発酵生産、糖類関連物質の発酵工業、酵素類(物質を合成したり分解したりすることのできる蛋白質)の発酵生産、微生物菌体蛋白質の発酵生産、炭化水素からの発酵物の生産、環境浄化発酵などとなる。
この中で特に医薬品及び化学製品の発酵産業と酵素製剤の発酵生産、さらに環境浄化発酵が破竹の勢いで伸び続けており、二一世紀の花形産業となるのは間違いない。とにかく発酵は人類をこれまで豊かにしてきたばかりでなく、これからの人類の未来をも拓くものなのである。
発酵の場はそれを司る微生物群で超過密の世界である。今、ここに熟して甘くておいしいブドウの実がある。これを皮付きのまま潰して容器に入れておき、一五時間ほどするとブツブツと炭酸ガスを吹き上げてアルコール発酵が開始される。それはブドウの皮に付着していたり、空気中に浮遊していた発酵力の強い酵母が侵入してきて、そこでひき起こす発酵現象で、そのままにしておくとブドウ酒が出来上る。
発酵直前、このブドウの果実にはその一グラム中におよそ一〇万個ほどの酵母がいるのであるが、発酵が起こって二四時間後には四〇〇〇万個(約四〇〇倍)、そして四八時間後には二億個(約二〇〇〇倍)に増える。このように微生物は格好の生育環境下に入った時、一挙にその数を天文学的に増やしていく。このことはブドウ酒の例ばかりでなく、発酵現象の全てにおいて共通して見られることである。
さらに身近なところでは、日本人が昔から大好きな漬物の一種である糠漬けの、あの発酵中の糠みその中にも実にさまざまな発酵微生物が犇き合って生きている。ある研究報告によると、糠みそ一グラム(大体小さじに軽く一杯ぐらい)の中には、生きて活動している乳酸菌が約八~一〇億個(微生物はそれぞれがひとつの単細胞から成っているので、何匹という表現ではなく、細胞を何個と数えるのと同じように「個」を付けて数を示している)、その他の細菌や酵母も約一億個以上生息しているという。
たったの一グラムというわずかな糠みその中に、日本の人口の八倍もの乳酸菌と、日本の人口に匹敵するほどの数の細菌や酵母が存在していて、さまざまな様式で生活しているのであるからまったく不思議な世界であり、感動的である。
こうして考えると、広大な宇宙の星の数が無限であるのと同じく、微細すぎて目にすることのできない地球上の発酵微生物の数もまた無限であることに気づくのである。
本書では、その「発酵」という生命現象でつくられた発酵食品が、いかに戦争時に国民生活の中で用いられ、耐乏にともない変化していったか、さらには発酵という微細生物の働きを利用して幾つかの軍需物資をつくった人間の発想などについて述べるものである。
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