【序章】歯周病は国民病だ
口のなかの細菌数はウンチと同じ!!
私たちの口のなかは、直腸のなかと同じくらい細菌が多いことをご存じでしょうか。
口腔内に棲む細菌の数は、便(ウンチ)と同じくらいと言われています。
バクテリアという無数の細菌が棲みついていて、その菌はかたちも種類も性格もさまざま。それらが群れをなし、細菌叢というひとつの社会をつくっているのです。
図1をご覧ください。口は食べ物が入ってくる場所にもかかわらず、そこは直腸のなかの便と同じくらい細菌だらけで汚い──。
ほとんどの人は、この衝撃的な事実に気づかないまま生活をしているのです。しかも、しっかり歯をみがいたり、舌をキレイにしたりするなど普段から口のケアをしていないと、バクテリアの数はさらにふえます。
より実感をもっていただくために、さらに想像してみてください。
もし、あなたのパートナーの口のなかにウンチがあったら、キスできますか?
口のなかがこれほど不潔なことに気づいていないからこそ、できる行為であるともいえますが、細菌学の世界から見れば、キスをするというのは、愛がなければ乗り越えることができない一大決心がいることなのです。
これと同じように、多くの人たちはまた、口のなかにある病気を放置していることに気づかないまま生活をしています。
それが歯周病です。
歯周病は子どもから大人までかかる生活習慣病です
「歯周病って、歯みがき粉のCMで、しきりと言っているヤツでしょ」
とくに口にトラブルのない方や若い方は、「歯周病」という言葉はよく耳にしていても、そんな漠然としたイメージしかないかもしれません。
あるいは、歯周病菌によって歯を失うリスクがある病気ということは知っていても、
「それは高齢者の話であって、自分にはまだ関係ないよ」
と、どこか他人事でいる。だから、本人はすでに病気が進んでいることに気づかず、治療されないまま放置されていることが多いのです。
歯周病のきっかけは、「歯のみがき残し」というとてもありふれたものです。ですから、高齢者だけがなるわけではなく、子どもから大人まで誰でもかかります。
毎日歯みがきをしている人でも、歯ブラシが届いていない場所があったり、みがき足りていない場所があったりすれば、その人の口のなかは、歯周病菌がよろこぶ環境をつくってしまっていることになるのです。
深夜まで映画を見たり、ゲームをしたりしながら、お菓子やジュースを口にし、ついそのまま寝てしまっていませんか。
毎日仕事で忙しく、疲れて帰ってきて、そのまま倒れ込むように眠ってしまうことが続いていないでしょうか。
コロナ禍で家吞みをする機会がふえ、酔っぱらって気づいたら寝落ちしていたということが多くなっていませんか。
こうしたことが続けば、夜は歯をみがいていないことになるわけです。
歯みがきが面倒になる、ついうっかりみがき忘れるというシチュエーションは、日常に転がっています。
つまり、歯周病は、毎日のこうした習慣の積み重ねが引き金になる生活習慣病なのです。
歯周病は感染症。だからキスでも移ります
新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の蔓延で、マスク生活が当たり前になりました。同じように、歯周病も移る病気であることをご存じでしょうか。
じつは、歯周病は感染症でもあるのです。
新型コロナは「ウイルス」、歯周病は「細菌」という違いはあっても、「感染者から移る」というメカニズムはまったく一緒です。歯周病菌は、人から人へ移ります。
歯周病の感染ルートは唾液感染です。
つまり、キスでも移るのです。
さきほど、口のなかが便に匹敵するほど汚いという事実を知っても、パートナーとキスできるかどうか、イメージしていただいたばかりですが、愛をもってそれを乗り越えて唇を重ねたら、今度は新型コロナ以外の感染症のリスクもあっただなんて、ダブルでショックを受けている方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、「知らなかった」ということほど、怖いことはありません。
知るは最大の防御です。
ぜひ、この本を通じて、本当に歯周病が怖いのはなぜなのか、どうすれば自分だけでなく、大切な家族や恋人、ペットや友達を守れるのかを、知っていただきたいと思います。
本題に戻りましょう。
キスというのは、唾液を交換する行為ですから、相手から歯周病菌をもらってしまっていた、もしくは自分が移してしまっていた可能性があるということです。
つまり、いくら自分が毎日しっかり歯みがきをして歯周病の予防対策を取っていても、唾液感染によって、相手から歯周病菌をもらってしまうこともある。逆に、自分が歯周病菌をもっていれば、相手に移してしまう可能性があるということなのです。
それは、もしあなたが歯周病菌をもっていたら、自分の愛する我が子に移してしまう可能性だってあるということを意味します。
たとえば、お子さんが乳幼児のころ、可愛いあまりに唇にチュッとしていませんでしたか。自分が食べている箸で料理を取り分けて子どもに食べさせたり、味噌汁が熱くないかを自分で確認したあと、同じスプーンで子どもに飲ませたりしていませんでしたか。
これも立派な唾液感染になるのです。
多くの方が気づいていないだけで、歯周病菌の感染リスクもまた、日常のいたるところに転がっています。だからこそ、病気のことをきちんと知ることが大切なのです。
一〇~一九歳の四分の一以上が歯周病です
さきほどお話ししたように、歯周病は高齢者だけが罹る病気ではありません。
歯のみがき方が悪ければ、二〇代、三〇代でもかかります。大人だけでなく、小学生の子どもでもかかる病気です。
二〇一六年に厚生労働省が実施した「歯科疾患実態調査」から、年齢別に見てみると、歯周病にかかっている人は、三五~五九歳で四割強。さらに若い二〇~三四歳の世代でも、四割強と高い(図2)。推定では、「三〇~六〇代は、八〇%以上が歯周病」とされています。
また、成人の一割は、歯を次々と失ってしまう重度の歯周病であることもわかっています。その人たちには、治療せずに放置していれば、間違いなく総入れ歯に向かって一直線という崩壊ルートが待ち受けていることになるのです。
そして同調査によれば、一〇代の子どもにいたっては、虫歯よりも歯周病になる人のほうがふえています。一〇~一九歳では平均二七・六%と、すでに四分の一以上が歯周病なのです。
このように、歯周病は子どもにも多い、立派な国民病なわけです。
にもかかわらず、ほとんどの人たちが歯周病になっていることに気づいていない、もしくは口のなかのことはあまり気にせず、放置したまま過ごしている。
これが、日本における歯周病の現実です。
つまり、歯周病を進行させるのも、発症の手前で食い止めるのも、すべて自分の行動次第。毎日の生活習慣にかかっているということなのです。
■歯肉炎は、もとに戻れる歯周病
ただし、私たち歯科医の立場からすると、「歯周病」とひとくくりに語るのは、もう一つ気が進みません。歯周病がどれだけ進んでいるかによって、口のなかの状態はまったく違うからです。
歯ぐきに炎症があるだけの状態は、「歯肉炎」という初期の歯周病です。歯肉は、歯ぐきのこと。この段階なら、しっかり歯みがきをすれば治ります。一〇代の歯周病は、歯肉炎がほとんどです。
きちんと歯をみがけていないことが原因ですから、たとえば、「しばらくお風呂に入っていなくて、頭が猛烈にかゆい」という状態にあることと同じようなものです。この場合は、お風呂に入ってしっかり髪を洗えば、頭のかゆみはおさまります。
歯肉炎も一緒で、正しい歯のみがき方を覚えてプラーク(細菌のかたまり)を歯ブラシでしっかり落とせるようになれば、歯ぐきの炎症はおさまります。
つまり、歯肉炎は、もとに戻れる歯周病ということです。
■歯は六〇歳を境に壊れはじめる
一方、この歯肉炎の炎症がさらに進んでひどくなってしまったのが「歯周炎」です。
歯を支えている歯周組織まで炎症が広がり、歯ぐきが破壊されていくため、やがて歯の骨が痩せてもろくなると、支えきれなくなって歯が抜け落ちます(図3)。
こうなってしまうと、いくら歯科で治療をしても、なかなか完全に治すことはむずかしくなる。歯科に行けば、必ず治してもらえるわけではないのです。糖尿病やがんと同じで、治療に入るタイミングはとても大切です。
抜けてしまった歯はもとに戻りませんから、部分入れ歯をつくる必要が出てきます。
さらに、一度抜けはじめた歯は、その両隣の歯も抜けるリスクが高いのです。歯ぐきの炎症を止められなければ、すべての歯が抜けてしまう可能性もあります。
このように、一口に歯周病といっても、実際に口のなかで起きていることは、進行の程度によってまったく違うわけです。
そして、命と同じように、歯にも寿命があります。
成人の歯は、通常28本。これを何歳までしっかり残すことができるか。しっかり噛める歯があるかどうかは、元気に生活できる健康寿命にも関係してくることです。
28本の歯がしっかり残っているのは、三〇~四〇代がピーク。それが六〇代になると、目に見えて壊れはじめます。
定年後の男性に「現役時代にしておけばよかったこと」をアンケート調査してみると、「歯科への通院」という答えが決まって上位に入ります。それほど多くの人たちが、六〇歳の声を聞くと、急激に歯が弱ってくるのを実感しているということです。そうなって初めて「しまった」と思うわけですね。
しかも、一度壊れはじめた歯は、ドミノ倒しのように止まりません。七〇代になると、28本歯が残っている人もいる一方で、1本も歯がない人が七%出てきます。八〇歳以上になると、歯が1本もない人が二二%になり、28本残っている人はたったの五%です。
六〇歳を境に歯を失っていく一番の原因が、歯周病の進行なのです(図4)。
口呼吸が習慣になっていると確実に歯周病が進みます
歯周病の進行を促す生活習慣は、できるだけやめる。
これは、歯周病の人がいまの口の状態を悪化させないためにも、歯周病の予防のためにも、とても大切なことです。
歯周病を悪くする原因は、歯のみがき方が足りないだけではないのです。呼吸の仕方によっても促されることがわかっています。
口から呼吸をする。これが習慣になってしまっている人は、確実に歯周病が進みます。
実際に、口呼吸を続けていることで歯肉炎を起こし、歯周炎へと進行する。あるいは歯周炎が重症化してしまう人もいることが明らかになっています。
そして近年、この口呼吸をする人がふえているのです。
歯周病が確実に進むことも避けなければならない大きな問題ですが、さらに厄介なことが二つあります。ひとつは、口呼吸によって身体全体が受けるダメージがあまりに多岐にわたること。もうひとつは、大人だけでなく子どもの口呼吸も深刻化していることです。
(1)口呼吸による身体へのダメージ
常に口を開けて息をしている人は、呼吸が浅くなり、身体に酸素が十分取り込まれないことで、顔色は徐々に青白くなり、表情も失われていきます。
呼吸が浅いと、眠りも浅くなります。眠りの質が落ちれば、疲れやすくなり、注意力も散漫になる。
さらに、いつも口が開いているとアゴが上がり、背筋を伸ばす筋力がおとろえてきます。すると、真っ直ぐ座っていることができなくなってくるのです。しかも、口には鼻のようなフィルターがないため、口で呼吸を続けている人は、あらゆる雑菌や細菌、ウイルスもすべてダイレクトに口から取り込んでしまっているわけです。それも一時的ではなく、二四時間ずっと。それが毎日ですから、当然、身体の抵抗力は下がっていきます。
こうしたことが何年も続けば、さらに全身に悪い影響が出るでしょう。
また、口呼吸をしているのは、中高年の男性というイメージがあるかもしれませんが、それだけではありません。大学生から中高校生、もっと小さな小学生や未就学児まで、あらゆる年代でふえているのです。
子どものひどい口臭の原因は口呼吸にあります
(2)口呼吸をする子どもの増加
とくに、幼稚園や小学校へ歯科健診に行くと、この一〇年で口を開けている子どもたちばかり目につくようになりました。この状態を「お口ぽかん」と呼んでいます。専門的には「口唇閉鎖不全症」といいます。
最近の子はアゴが小さいので歯並びが悪く、かみ合わせもよくありません。
さきほどお話ししたように、日常的に口が開いていると、アゴが上がりやすく、背筋を伸ばす力がおとろえて、ぼうっとしている子が多いのも特徴です。
そして、小学校低学年なのに口臭がひどい。その原因が口呼吸でもあるのです。
口呼吸をしているかどうかは、歯の汚れを赤く染め出す色素検査をすれば、すぐにわかります。口呼吸の子どもは決まって前歯が真っ赤に染まってきます。
それはなぜか。いつも口が開き、口で息をするのが当たり前になってしまうと、口のなかは当然、乾燥します。すると、前歯は唾液で湿っていない状態が続いてしまうので、プラークがカチカチに固まってしまうのです。おまけに口が閉じていないので、だんだん歯が外に飛び出してくるんですね。そうなるとますますプラークは乾燥してしまいます。
ですから、ほかの歯はキレイにみがけているのに、前歯だけにプラークがべったりついている子どももいるのです。
毎日歯みがきをしていても、歯ブラシで数回こする程度ではべったりついたプラークは取れません。当然、歯周病になりやすいわけです。
つまり、口呼吸は歯周病が進みやすい環境を整えてしまっているのです。一〇~一九歳の四分の一以上に歯周病が見つかるようになったのは、こうした背景も関係していると考えられています。
しかも、口呼吸を続けていると、歯周病を悪くしてしまうだけでなく、先に挙げたように、身体にさまざまな異変も現れます。これは、子どもたちの将来を脅かす危機的な問題なのです。だから口呼吸をやめ、歯周病を未然に防ぐよう、早い段階からケアすることが大切なのです。
(「【序章】歯周病は国民病だ」より)
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