異彩を放つ中国の上級大佐
壇上で明らかに異彩を放っていた。
鉄柱を入れたような伸びた背筋。その背骨から砲撃しているような甲高い声。歌舞伎のような大きなジェスチャー……。
東京都内のホテルの会場に2019年12月2日、中国人民解放軍国防大学教授で上級大佐の劉明福の姿があった。劉は黒のスーツで身を固めていたが、所作や容姿は中国の軍人そのものだった。日本国際問題研究所が主催する「東京グローバル・ダイアログ」の初会合で、「新たな米中戦略的競争と国際社会」をテーマに、劉を含めた日米中の5人のパネリストが議論をした。
劉明福とは私が朝日新聞北京特派員だった時から十数年来の知り合いで、単独インタビューを何度かしたことがある。記事を見た日本国際問題研究所幹部から「劉氏を会合にお招きしたい」と要請があった。だが、北京の日本大使館ですら劉の連絡先がわからなかったため、私が仲介することになった。
劉明福は初来日のせいか、壇上では心なしかいつもより高揚しているように見えた。冒頭、発言した劉は右手をかざしながら口火を切った。
「いま世界では大戦は起きていない。しかし、この会場では『思想の戦争』が始まろうとしている」
日本では生身の中国軍人を見る機会はほとんどない。中国軍人の中でも「タカ派」とみられている劉の一挙手一投足を観衆が驚きのまなざしで見つめているのがわかった。
劉はまず、習近平が中国共産党トップの総書記になった2012年に提唱した「中国の夢」に言及した。「中国の夢」とは「中華民族の偉大な復興の実現」であり、国家・民族・人民が三位一体となって実現することを目指した政治スローガンだ。
同名の著書を劉は2010年に出版している。タイトルの『中国の夢』は、「アメリカン・ドリーム」をもじっており、中華人民共和国の建国100年にあたる2049年までには米国と並ぶ強国となり、21世紀中には中国が「世界ナンバー1の国家になる」という構想を打ち出している。それを実現するための長い過程について、劉は「100年マラソン」という表現を使って、米国に追いついて追い越すための戦略を描いている。
劉は会場を見渡しながら次のように訴えた。
「いま、『中国の夢』は『米国の夢』に挑戦している。30年後にどちらの『夢』が勝利を収めているのか。この会場に再び集まって結果を見てみようではないか。今後警戒すべきことは、『第2の冷戦』ではなく米中両国を中心とした第3次世界大戦が起こりかねないことだ」
次々と舌鋒鋭く畳みかける劉の演説に、他のパネリストや観衆はあっけにとられているようだ。
米国のタカ派が劉の本も薦める
続いて米側からの参加者、マイケル・ピルズベリーの番が回ってきた。ピルズベリーは長年、中央情報局(CIA)で中国分析をしており、国防総省顧問として政権の対中政策に助言している。トランプ政権の時には、対中強硬策の理論的支柱となり、ペンス副大統領ら高官からたびたび名前が言及されていた。
ピルズベリーを会合に招いたのには理由があった。劉が登壇する条件として、ピルズベリーの出席を求めたからだ。米中両国の「タカ派」ともいえるピルズベリーと劉だが、十数年来の付き合いだ。2人はそれぞれの国に招待しあって、意見交換をしている。米中両政府は表面的には対立しているようにみえるが、水面下では頻繁に情報交換をしているチャネルがあることがうかがえる。そして、このチャネルに日本政府の関係者が参画していないことも改めて浮き彫りになった。
ピルズベリーは観衆らのどよめきをよそに、劉の『中国の夢』について淡々と語り始めた。
「英語版も出版されていて、とてもいい本なのでみなさんにもご一読を勧めたい。中国のタクシーの運転手を含めてすべての中国人が『習近平が読んでいる本』と知っているからだ。しかも、中国が世界を征服しようと打ちたてている長期目標について、同盟国でもない我々に教えてくれているのだから感謝しなければいけない。そういえば、劉氏を初めて我が国の国防総省に招いて講演してもらった。そうしたら我が国の国防予算は50億ドル(約6700億円)上乗せされたこともつけ加えておく」
米政府が予算獲得のために、劉のような中国の「タカ派」の言動を巧みに使っていることがうかがえる。
パネリストの一人で元外交官の岡本行夫から「中国は台湾をどうしようとしているのか」と尋ねられると、劉は立ち上がりさらに声のトーンを上げて答えた。
「米国こそが我々のお手本で、100年以上前に模範を示してくれた。米国内で北部と南部に分かれて4年間の戦争をして62万人が犠牲になった。中国が台湾を攻撃するならば、当時の北部が南部を打ちのめした先例を参考にする。しかし、我々は犠牲者を出さないよりスマートな方法を採用するだろう」
劉が公衆の面前で中国大使館員を一喝
中国による台湾併合のやり方について、劉は1861年の米国の南北戦争を引き合いに出して説明を始めた。これこそ、本書第5章「反台湾独立から祖国の完全統一へ」の重要なポイントの一つだ。北軍がどのように国際世論を味方につけたのか。戦略面で南軍をどう攻略したのか。劉は当時の文献を紐解いて、中国による台湾併合に当てはめて解説している。ちなみに第5章は、2020年に本書の中国語版が中国国内で出版された際には丸ごと削除されている。習近平政権が最重視する台湾問題について、精緻かつ的確に分析していたため、掲載が許可されなかったようだ。
会場からの質疑に移ると、議論はより白熱した。香港デモに対する中国政府の弾圧や、新疆ウイグル自治区での「強制収容所」の問題が提起された。すると、劉は回答もそこそこに、持参していた横断幕を取り出して、ピルズベリーと司会の防衛大学校長(当時)の国分良成に開かせた。そこには「日本の夢」と記されており、「日本の夢の実現に向けて一緒に努力しよう」と会場に訴えると、笑いと拍手が起きた。
続いて、一人の女性が指名されて劉に向かって語りだした。
「私は中国大使館の者です。外交官として申し上げたいことがあります。今日の劉先生の発言はご自身の主観であり、政府の見解を代表したものではありません。中国は決して台頭をしようとはしておらず、どこかの国に異を唱えているわけではありません」
会場にどよめきが起きた。これに対し、劉は語気を強めて女性に反論した。
「あなたの質問は政府を代表したものか。それとも個人的な質問なのか。答える価値がない」
米国のタカ派が劉を擁護
劉を援護射撃するようにピルズベリーも続いた。
「劉先生が言う通り、大使館の人間がどの立場で話しているのか。誰に向かって口をきいているのか。人民解放軍は共産党を守る任務があり、政府よりも地位は高いのだ」
一連のやり取りは、中国の軍部と政府の関係を象徴していた。中国軍幹部の強硬発言に対して、中国外務省当局者が火消しに動くことはしばしばある。しかし、習近平政権下において、劉ら中国軍幹部の発言権は強まっており、外務省の権限は弱くなっている。ピルズベリーがいうように、外交官よりも軍人の発言の方がより重みがあるのは間違いない。
1時間半余りのシンポジウムが終わった。観衆の多くは、劉の独特な語り口と派手なパフォーマンスに圧倒されたり呆れたりしている様子だった。
一方、ピルズベリーの反応は違ったようだ。シンポジウム後、ピルズベリーにインタビューした際、情報機関にいた人物にしては珍しく、興奮気味に筆者に語りかけた。
「あの無礼な質問をした外交官は左遷されるに違いない。今日の劉氏の応答は、まさに本物の中国の政治将校のスタイルだった。人民解放軍が訴えたいプロパガンダだけを主張して、機微に触れる質問や話題は煙に巻く。実に見事なパフォーマンスだった」
シンポジウムが終わった晩、劉と寿司を食べながら議論した。劉は先ほどまでのパフォーマンスがうそのように、米中、日中関係のほか、人民解放軍が抱える問題点について冷静沈着に淡々と語りだした。オフレコだったので会話の内容をここに記すことは控えるが、実に意義深い意見交換ができた。
劉明福とはいったいどのような人物なのか? 習近平政権の安全保障政策にどれほど影響があるのか? 果たして本当に習近平の戦略ブレーンなのか? 劉との最初の出会いからさかのぼって紹介したい。
習政権での汚職撲滅を“予告”
まず劉の略歴を振り返る。1969年に入隊し、作戦部隊に勤務。1979年から約20年間、山東省にある済南軍区政治部で理論研究と政治工作研究をした後、国防大学で教授を務めている。「全軍優秀共産党員」にも選ばれたことがある。
劉は解放軍の官舎に妻と暮らしている。いつも同じ紺色のジャンパーを羽織っており、時計や装飾品はいっさい着けていない。食事をするときはいつも近所の食堂で済ませ、中国人にしては珍しく、「もったいないから」と残さずに皿を平らげていた。
筆者が劉の名前を知ったのは、2009年のことだ。深刻化する人民解放軍の汚職問題について取材を始めた際、知り合いの中国政府系シンクタンク研究者から「軍の腐敗問題に最も詳しい専門家」として劉を紹介された。何度か手紙のやり取りをした末、オフレコを条件に劉と会えることになった。
劉は執務室の書棚に並べられていた膨大な書籍の中から、一冊のファイルを取り出した。2000年から5年間の軍幹部らの汚職事件に関する内部文書を元に、劉がつくった報告書だった。
入隊に便宜を図る見返りに謝礼、軍用地を安値で民間企業に売却してキックバック……。報告書には汚職に至るまでの経緯や動機が事細かく記されている。賄賂額も一件あたり数十万元(数百万円)~数億元(数十億円)と高額だ。のちに逮捕される軍高官の実名もあった。劉は報告書をつくった経緯について振り返った。
「ある軍高官に頼まれて作成したものだ。我が軍にとっての脅威は米軍でも自衛隊でもない。腐敗こそが解放軍を破滅に追い込む最大の『敵』だ。習近平政権が発足したら最優先課題で汚職撲滅に動くだろう」
当時、軍を統括していたのは総書記だった胡錦濤で、習近平はまだ国家副主席だった。だがこの段階で劉は、習がトップに就任したら腐敗撲滅キャンペーンを展開することを予期していたのだ。
劉からは、日本の自衛隊を含めた日本政府の過去の汚職事件の例や、取り締まり状況について尋ねられた。中国と比べてけた違いに少ない収賄額や件数に関心を示し、「日本の公務員の腐敗防止対策を我が国も参考にしなければならない」と語っていたのが印象的だった。
その後も劉とは定期的に意見交換を重ねた。ところが、ある時から音信不通となった。2010年のことだ。
胡は発禁にし、習が許可
ちょうど劉が『中国の夢』を出版した直後だった。同著は、国民の愛国心に火を着け、瞬く間にベストセラーとなった。副題には「ポスト米国時代の大国的思考と戦略的位置づけ」とあり、米国について次のように指摘している。
「我が国は国力をたゆまなく増強していき、世界ナンバーワンの強国になることが世紀の目標だ。そのためには米国と競争しなければならず、これは既存のナンバーワン国家と潜在的なナンバーワン国家との争いといえる。これまで台頭してきた国家を米国は封じ込めてきた歴史があり、今回も中国に対して封じ込め戦略を実施してくるのは間違いない。だからこそ米国への幻想を我々が抱くことは自殺行為なのだ」
同著を出した背景について、劉は次のように筆者に語っている。
「2010年に中国の国内総生産(GDP)が日本を上回り、米国に次ぐ世界第2位の大国となった。まさに米国を追いかけ、そして追い越す準備が整った。中華民族が『中国の夢』を追求するスタートの年に出版したのだ」
こうした対米強硬論に対して、米国をはじめとする欧米諸国から批判が起きた。米中国交正常化への道筋をつくった元米国務長官のヘンリー・キッシンジャーは翌2011年5月に米紙ウォール・ストリート・ジャーナルへの寄稿で、劉について「必勝主義者」と称して警戒感を示した。
こうした批判を受け、胡錦濤政権は『中国の夢』を発禁処分にした。劉自身も当局の取り調べを受けたようだ。「平和的発展」を掲げて対米関係を重視する胡政権は、劉の主張は「強硬過ぎる」と警戒したのだろう。
ところが2012年11月、習近平政権が発足すると、事態は一変する。
習近平は、総書記に就いた半月後、新指導部の政治局常務委員6人を引き連れて、北京市内の国家博物館を見学した際に、次のような演説をした。
「皆、いま『中国の夢』を議論している。私はこれを中華民族の偉大なる復興、すなわち中華民族にとって近代以来最も偉大な夢だと考える。中国共産党成立100周年を迎える時(2021年)、全面的な小康社会(ややゆとりのある社会)を建設するという目標を実現し、新中国成立100周年を迎える時(2049年)、富強・民主・文明・和諧的な社会主義現代化国家を建設するという目標を実現することが、中華民族の偉大なる復興という夢につながるのだ」
習が初めて公けに「中国の夢」に言及した瞬間だった。この翌日、劉の『中国の夢』の新版も発行許可が出された。
習政権のスローガンとなった『中国の夢』
「禁書」扱いにした前政権とは対照的に、習政権は最も重要な政治スローガンに採用したのだ。習は重要会議において、「中国の夢」を連呼した。2012年12月に習は、南部の広州軍区を視察した際、軍区幹部らへの演説の中で、「中国の夢」について次のように説明している。
「この夢は、『強国の夢』と言ってもいい。軍部にとっては『強軍の夢』なのだ。中華民族の偉大なる復興の実現には、富国強兵をしなければならない」
いずれも劉の『中国の夢』に出てくる言葉やコンセプトをそのまま採用していると言っていいだろう。その後の習の米国に対する強硬な発言や政策を見ても、劉の思想の影響を強く受けていることがうかがえる。
筆者が北京特派員を終えて帰国する間際の2013年3月、習近平の「中国の夢」に対して、劉の書物や思想がどれほど影響を与えたのか、劉本人に尋ねたことがある。
「習主席自身が考えて打ち立てた偉大なスローガンであり、私は参考材料を提供したにすぎない。私の書物と一致している部分があるのも偶然だ」
こう劉は謙遜気味に答えると、ある手紙を見せてくれた。3枚の便せんには、端正な文字が綴られていた。末尾には2010年3月と記されていた。
習近平の「戦略ブレーン」
「親愛なる劉明福先生 この度は『中国の夢』の出版おめでとうございます。またご恵贈いただき感謝いたします。先生の深遠かつ示唆に富む戦略は大変参考になります。指導部内で共有して参考にさせていただきます」
差出人には「劉源」とあった。軍の最高位の上将で、この時は軍の兵站を担う総後勤部の政治委員を務めていた。劉源は、毛沢東に次ぐ序列2位の国家主席の地位にありながら文化大革命で失脚に追い込まれた劉少奇を父に持つ。習近平の2歳上の幼なじみで、習と同じく下放されたことがある。
劉源は、劉明福の国防大学での学生で、書面のやり取りをしていたという。『中国の夢』が劉源を通じて習近平の手元に渡ったことがうかがえる。前出の軍の汚職に関する報告書の作成を劉明福に依頼した「高官」が劉源だったことも、この時筆者に明かしてくれた。
劉源は、習近平の看板政策だった反腐敗キャンペーンの旗振り役だった。習近平政権が発足する約1年前の2011年12月に北京で開かれた中央軍事委員会拡大会議で、当時制服組トップの軍事委員会副主席だった徐才厚、郭伯雄に関する腐敗問題について、劉源は名指しで批判し、軍内の汚職調査に着手した。習近平政権が2012年11月に発足すると、劉源は軍高官らを次々と摘発し、徐を2014年、郭を2015年にそれぞれ失脚に追い込んだ。
こう振り返ると、習近平政権の政策決定過程において、劉明福→劉源→習近平というルートが浮かび上がる。しかも、習政権にとって最も重要な政治スローガン、看板政策である反腐敗キャンペーンの理論的支柱の役割を劉明福が果たしていたことがうかがえる。中国軍内の「異端のタカ派」ではなく、習近平の「軍師」の一人と言っても過言ではないのだ。
劉源は2015年末に引退したが、劉明福は依然として習政権の政策決定に影響を与えているようだ。
習近平の「戦略ブレーン」である劉明福がどのような世界観を持っているのか。中国人民解放軍をどのように強化しようとしているのか。そして、世界初公開となる、政権が最重視する台湾統一をどのように実現しようとしているのか。本書を読むことで、それが明らかになる。(敬称略)
「習近平氏の戦略ブレーン、劉明福とは何者か」より
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