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雄々しさと艶っぽさ、そして苦悩を抱えた光國の魅力

雄々しさと艶っぽさ、そして苦悩を抱えた光國の魅力

文:吉澤 智子 (脚本家)

『剣樹抄 不動智の章』(冲方 丁)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『剣樹抄 不動智の章』(冲方 丁)

 まいったな。

『剣樹抄』を読み終え思わず唸った。

「今度、ドラマにしたいと思ってる小説なんだ」とプロデューサーから手渡され、読み始めた。私は脚本家なので仕事として手にとった小説、のはずだった。

 が、そんなことはすぐにどこかへ行き物語の世界へぐいぐいと引き込まれた。

 私の知っている水戸光圀(みとみつくに)は黄門(こうもん)様と呼ばれ、頭巾を被って諸国を漫遊し、ドラマが終わる十分前頃になってようやく助さん格さんに「やっておしまいなさい」と命じて、悪党を懲らしめ「カッカッカッ」と高笑いするおじいちゃんだった。

 だが、『剣樹抄』で描かれる若き水戸光國のなんと雄々しく艶っぽく魅力的なことか。

 この光國でドラマシリーズにすればいいのに。あっ、これからドラマにするんだった。

 それも私が脚本を書くことができる! そんな幸運をかみしめながら読み進めた。

 野球のスイングのような棒振りをする了助(りょうすけ)。バレエを舞うように剣を振るう氷ノ介(ひのすけ)。

 目の前にすぐに映像が広がるような躍動感溢れる描写に、ドラマならどんな殺陣(たて)になるんだろうと心が躍る。『光圀伝』でも圧倒された冲方先生の膨大な知識に裏打ちされた物語の展開は、史実を巧みに織り込みながらエンタテインメントとして昇華されており、知的好奇心を満たされると同時に、シンプルに悪人を成敗する娯楽的な楽しみもある。

 これは絶対面白い時代劇になる。そう確信した。

 ただし、まいったのは、この若き光國が大きな罪を抱えていることだ。

 過去に了助の父を殺している。

 しばしば時代劇では、歴史上の人物を主役、あるいはメインキャラクターに据えるとその暗い史実をあえて描かなかったり、解釈を良い方向に変えて表現することがあるのは時代劇をご覧になる多くの方がご存じの通り。それはもちろん、視聴者に愛される人物にする為で、特に時代劇の場合、主人公にはヒーロー的な人物像が望まれることが多い。

 歴史上の偉人は往々にして現代の価値観ではとんでもないことをやっていたりするもので、不倫も浮気も当たり前、そんな理由で斬っちゃうの?というような人殺しをしていたりする。水戸光國も若い頃、傾奇(かぶ)いたあげく辻斬りをした史実がある。

 だが、冲方先生は光國の黒歴史をさけるどころか、この物語のキーとなる出来事として膨らませ創作の翼を広げて描いている。

 私が何よりまいったのは、その創作者としての姿勢に対してだった。

 結果、正しいだけの光國より、苦悩を抱えた光國はより厚みのある血の通った人間として物語の中で存在している。人はまちがいを犯すから人なのだ。

 これは脚本を書くには覚悟がいる。安易に視聴者に媚びてぬるい話にしてはならない。

 そう心に決め脚本を書き始めた。そして、ならばいっそ光國と了助の関係はさらに深く温かく、疑似親子のようにできないかと考えた。鬼河童と呼ばれたギラギラした了助を人らしく子供らしい姿へと導く光國。二人の関係が深まれば深まる程、視聴者は「その時」が来るのを恐れる気持ちと共に、「その時」をどう迎えるかが気になるはずだ。

 一方、この複雑なキャラクターである光國の心情を、映像表現では小説のように文章で説明できないことには頭を悩ませた。モノローグで心の声を語るか、心情を吐露する相手が必要になる。モノローグで自分語りをする女々しい光國はあまり見たくない。

 私はお気に入りの人物・泰姫(たいひめ)のエピソードを膨らませることにした。

『剣樹抄』を読んでいた際、もっと光國と泰姫、二人の会話が読みたい、二人のシーンが見たいと思うほど泰姫の柔らかな強さが大好きになってしまったのだ。

 時代劇の中で女性を色濃く描こうとすると、現代的な価値観の強い女性になってしまったり、あるいは男性に尽くす、ある意味男性に都合の良いキャラクターになりがちだが、冲方先生の描く泰姫は、豪胆な光國をふんわりと包むように、時に知らぬ間に導いていく。いわゆる天然でいて聡い、実に魅力的な女性なのだ。そんな泰姫ならば光國の苦悩をそれとなく聞き、柔らかく受けとめてくれるに違いない。

「柔弱(よわ)くとも剛毅(つよ)く、剛毅くとも柔弱いもの」は何か──

 罔両子(もうりょうし)との禅問答で了助が導きだした答えは「人」だが、光國と泰姫の夫婦こそがその「人」そのもののように思えた。剛毅な光國は泰姫の前では時に柔弱さを見せ、か弱い泰姫は時に凜と剛毅い。気づけば微笑みながら二人のシーンを描いている自分がいた。

 本作『不動智の章』では、いよいよ「その時」を迎える。

 光國が父親を斬ったと知った了助の慟哭は胸が痛むばかりで、光國の悲壮な覚悟にも心動かされる。何より了助が事実を知り出てきた言葉。

 ──地獄だ。

 が、胸を貫く。

 事前のエピソードで罔両子が了助に語った「地獄も極楽も、人の心から生ずるもの」という台詞がここに来て大きな意味を持ち始めるのだ。

 おそらく凡庸な作家ならば、棒振りで認められた了助がやがて武士の道を歩む話に展開していきそうなところ、了助は武士になりたいとも僧の道に進みたいとも思わぬところがこの物語をより一層深いものにしている。了助は剣ではなく人を直接的に殺めることのできない棒振りの稽古を続ける。氷ノ介と闘うのならば剣を極めた方が効果的で、僧のように無心で棒を振ることを行にして悟りを得たい訳でもない。

 なぜ棒を振るのかと尋ねた罔両子に、了助は地獄を払うためと己の中から答えを紡ぎ出す。

 その了助が事実を知り地獄に落ちかける。拾人衆に迎えられ、鬼河童からせっかく人らしくなった了助が、光國に棒を振りかかる姿に痛々しさを覚えたその時、柳生義仙(やぎゅうぎせん)が現れ、「鬼を人に返す」と言い放ち了助をさらい、了助、光國、そして物語を救っていく。カッコイイ。飄々としてべらぼうに腕の立つ男・柳生義仙という新たな登場人物を得て物語はますます予測不能な展開へと広がっていく。

「心を置くな」「地面から歩き方を教われ」

 義仙は多くは語らぬが、その一つ一つの言葉が核心をつく。武士であって武士でない、僧であって僧でない義仙ならば、父親の死の真相を知った了助が心を開いていくのがよくわかる。

 話は逸れるが、脚本を書く前に冲方先生にお会いする機会を頂いた。緊張で何を話したか正直あまり覚えていない。が、穏やかで静けさを湛えた朗らかな笑顔が印象に残っていて……本作を読みながら、勝手に義仙は冲方先生のイメージで読み進めていた。普段は穏やかなのにやるときはやる風のような義仙だ(実際、義仙を演じて下さった舘ひろしさんには台本以上に渋さと深みを増して頂いた)。

 小説では二人の旅はまだまだ続いていくようだが、ドラマでは最終回にドラマとしての結末をつけねばならず、私は、了助が光國を許さぬまま、それでも共に生きていく、

 人はまちがえるものだから──となんとかドラマとしてピリオドを付けた。

 はたして冲方先生はどう思っていらっしゃるのか。

 柔弱い私は、伺えないままだ。

 ドラマにするにあたって、尺や撮影上の様々な理由で試行錯誤の上多々アレンジして脚本を書かせていただいたのだが、一度も冲方先生から直しの要求はなく、私にとっては『剣樹抄』という物語の中で自由に泳がせて頂いたような贅沢なお仕事だった。冲方先生の器の大きさには感謝しかありません。

 果たしてこの先、冲方先生はどんな結末に導いてくださるのか。ここからは仕事ではなく、一読者として「まいったな」とつぶやける日を心から楽しみにしている。

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文春文庫
剣樹抄 不動智の章
冲方丁

定価:880円(税込)発売日:2023年10月11日

電子書籍
剣樹抄 不動智の章
冲方丁

発売日:2023年10月11日

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