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小池百合子に権力の階段を上らせた日本社会の脆弱さを、陥穽を、心から恐ろしく思う

小池百合子に権力の階段を上らせた日本社会の脆弱さを、陥穽を、心から恐ろしく思う

石井 妙子

『女帝 小池百合子』(石井 妙子)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

『女帝 小池百合子』(石井 妙子)

『女帝 小池百合子』を単行本として出版したのは二〇二〇年五月三十日、それから約三年半の歳月が流れた。

 原稿を書き終えたのは二〇二〇年の四月末。コロナ禍の最中、小池百合子は都知事として連日、フリップを手に記者会見を開き、何度目かの「小池百合子ブーム」が始まるかに見えた。原稿を印刷会社に渡す当日まで、テレビ画面の中に彼女の姿を追いかけ続けていたことを、今、思い出す。

 コロナの影響で印刷所も通常のようには稼働せず、書店もいつ自粛要請の対象にされるかわからない。テレビのワイドショーは、「ロックダウン」「ステイホーム」といった刺激的な言葉を繰り出し、派手な立ち回りをする彼女を「総理よりもリーダーシップがある」と持ち上げていた。

 そうした中での出版となり、不安もあったが反響は大きく、主にネットメディアで取り上げられて本書は短い期間に版を重ね、発行部数は二十万部を超えた。それに伴い、「女帝」という二文字は、小池百合子の代名詞として、または隠語として、雑誌や夕刊紙、ネット記事で使われるようになっていった。その一方で、テレビでは本書(あるいは本書の内容)が取り上げられることはなく、ほぼ無視された(それは今に続いている)。その、あまりの落差が私には不思議でならなかった。

 本書の反響が大きかった理由には、出版直後の二〇二〇年七月に東京都知事選を控えていた、ということもあったろう。中には本書を「小池氏の都知事再選を阻止する目的で書かれた批判本」と受け取った人もいたようだ。だが、私の思いはそうしたところにはなく、もちろん選挙にぶつけて出版したものでもなかった。権力の階段を上り続けたひとりの女性の半生を、彼女を生み出した社会や時代とともに描き出したい。それが執筆の動機であり、私の目指したところだった。

 この数年、テレビメディアが作った「スター」の転落を様々な形で目にしてきた。魅力的な「物語」を持つ人物を求め、消費する。専門性や本来の業績ではなく、外見や経歴などの表面的な評価、巧みな宣伝によって、スポットライトを浴びる人々が次々と生み出される。テレビに出ている、というだけで人物に対する評価を甘くしてしまう。

 真贋(しんがん)を見極めることをメディアが放棄すれば、虚が実を凌駕(りょうが)するようになる。内面に蓄えられた実力というものが評価されず、自己宣伝に長けた人が跋扈(ばっこ)する。平成から現代に至るまで、空虚な人々が増え、社会そのものからも、実というものが抜け落ちていったように思える。有名になりたい、栄光を得たいという抑えがたい欲求から、虚の人生を作り上げてしまう時代の寵児たちの姿がある。

 小池百合子は、「上昇志向の塊だ」「権力に憑かれた女だ」と評されている。私も執筆中、そのように考えた。また、自分の「噓」を守るためにも、権力を保ち続けなくてはならなかったのだろう、と。しかし書き終えてみて、彼女が権力を得ようとするのも、すべては自分への賞賛を求めてのことではないか、と感じるようになった。礼賛の声を聞くために、光を求めて荒野を彷徨い、より強い光を浴びようと欲して権力の階段を上り続けているのではないか、と。

 都知事になってからの行動や政策にも、それは明らかだろう。

 コロナ対策では感染者を収容したホテルの各部屋に「小池百合子」からの励ましの手紙を届けさせ、約十一億の都税を使って自分が出演するテレビ・ラジオCMや動画を流し、「東京アラート」と称してレインボーブリッジを赤く染めた。他府県の知事たちが検査の拡充、患者を収容する病院の確保といった重要課題に必死で取り組む中、都のコロナ対策はメディア受けを狙った小池カラーに染められていった。

 学歴詐称問題のその後にも、触れておきたい。本書の出版後から大きな話題となり、二〇二〇年六月の都議会でも追及されたが、小池氏は説明を避け続けた。そうした中で六月九日、駐日エジプト大使館のフェイスブック上に突如、「カイロ大学は正式に小池百合子氏の卒業を認める」という不可解な文書が発表され、これを朝日新聞などが、「カイロ大学が声明を発表」と報道した。その結果、カイロ大学が小池氏の卒業を認めた、小池氏は卒業しているのだ、と社会は納得させられ、学歴詐称問題は沈静化していった。だが、そもそも、この「声明」がどのような意図に基づき、誰によって出されたものなのか。本文庫化においても注として本文に追記したが、小池側からその後公開された卒業証書に書かれている文面の疑問点について、日本のメディアは何も検証をしていない。私と文藝春秋は「声明」が出された背景を知るために、カイロ大学、また、在エジプト大使館に連絡を入れたが、担当者が応じることはなかった。

 小池氏は「カイロ大学を卒業したのか」という問いかけに対して、常にこう答える。「カイロ大学は認めております」――。この答えにすべてが詰まっているのではないか(小池氏はこの騒動の後にカイロ大学を訪問し、卒業生であることを盛んにアピールした)。

 二〇一六年の都知事選では、「オリンピックの経費削減」を公約としたが、コロナという異常事態下での開催を都知事として決断。無観客で行われた大会に都税は一体、どれだけ使われたのか。都議会で質問されても国政の問題として言葉を濁し、関係者が次々と逮捕されても、都として検証しようという姿勢は見せない。

 選挙では緑を自身のシンボルカラーと定め、環境大臣をしていた経歴を最大限に利用したが、現在、神宮外苑の再開発が小池都政下で進められている。樹齢百年以上の樹木を含む千本以上を伐採し、最高一九〇メートルの複合施設を作ろうとする、この経済重視の再開発案は、緑を保全しようと考える世界の環境政策に逆行すると批判されても、見直しを図ろうとはしない。米軍横田基地が発生源と疑われる東京都内の飲料水の汚染問題にも取り組まずにいる。

 その一方、二〇二三年一月四日、都職員への新年あいさつの中で、唐突に「都内に住む〇歳から十八歳に月五千円を支給する」と発表。「国が本来取り組むべきだが遅すぎる」と国政を批判したが、これによって、少子化が食い止められると責任を持って言えるのか。小池都知事の一存で決められた太陽光発電の設置義務化にも通じることだが、巨額の税金を使うのであれば、相応の効果がなくては無意味であるし、そうでなければ単に選挙を意識したバラマキであると批判されても仕方がない。費用対効果も、目標設定も十分に計られずに知事が決定し、進められてしまう。これは本来、行政としてあり得ないことだろう。

 都知事になるにあたって口にした公約は果たされず、公約にもなかったことが思いつきで決まっていく。メディア受けする派手なイベントによって、自分の価値を上げようとする。都政が私物化され、税金が知事の政治力維持に浪費されていく。

 現実として、日本の富は東京に集中している。それらが、いたずらに消費されてしまえば、やがて、その反動は東京だけでなく、日本そのものに及ぶことになるだろう。その時、責任は誰が負うのか。

 女性活躍、女性の時代といった言葉の数々がある。こうしたかけ声を追い風に、あるいは巧みに利用して「小池百合子」は誕生した。女性であっても公人である限り、その能力は冷静に批評されなければならないはずだ。だが、女性であるという理由で、批判が「女性に対する差別」としてすり替えられてしまう。それもまた、彼女が現在の地位を築き得た理由のひとつとなっている。

「小池百合子」は、小池百合子という、ひとりの存在によって作り上げられたわけではなく、私たちの社会が、時代が生み出したのだ。仮に小池百合子が去ったとしても、社会が変わらない限り、女にしろ男にしろ、第二、第三の「小池百合子」が現れることだろう。私は小池百合子という個人を恐ろしいとは思わない。だが、彼女に権力の階段を上らせた、日本社会の脆弱さを、陥穽(かんせい)を、心から恐ろしく思う。

「小池百合子」という深淵をのぞきこんだ時、その水底に映し出されるものは何か。それは現在の社会に生きる私たち自身の姿であろう。故に、彼女を何者かと問うことは、私たち自身を見つめ、現在の日本社会を問い直すことになると考えている。

 二〇二三年九月二十四日

 

※本書の単行本では北原百代さんは早川玲子という仮名にしていた。これは北原さんの希望であった。

  北原さんが今回、実名に切り替えたいと考えを変えたのは、単行本の発表後も、メディアが小池の学歴詐称問題を取り上げようとしなかったことに大きなショックを受けたからである。「早川玲子という人物は、本当は存在していないのではないか」と疑う意見や、「実名でなければ信憑性は薄い」と批判する意見などがインターネット上にあり、そうしたものを目にして北原さんは苦悩した。また、昨今、ジャニーズ事務所の性加害報道において、被害者たちが実名で告発したことにより、大きく社会が動くのを目の当たりにし、北原さんは実名で証言したいという思いを抱くようになっていった。

  石井と文藝春秋は、北原さんの身に危険が及ぶことがないかを確認した上で、北原さんの意思を尊重し、文庫化にあたって実名とした。

  北原さん以外にも、今回、仮名から実名になった方が数名いる。また、人によって、別の取扱いとさせていただいた場合もある。証言者の思いを、それぞれ尊重して変更した。

 

※小池百合子都知事には単行本の出版時、文庫本の出版時に何度となく取材を申し込んだが、一度も応じてはもらえなかった。


(「文庫版のためのあとがき」より)

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