- 2023.07.04
- 文春オンライン
「女はどんなに優れていても男の陰の存在」教育を受けても「行き遅れの女」と罵られ…近代日本を生きた女たちの怒りと苦しみ
窪 美澄
窪美澄が『近代おんな列伝』(石井妙子 著)を読む
私の小説家デビューのきっかけとなった新人賞は「女による女のためのR-18文学賞」という。応募者も選考委員もすべて女性。今さら女だけが優遇される賞を続ける意味があるのか、という声が時折聞こえてくることもあるが、近代文学史のなかで女性作家たちが受けてきた理不尽さを思えば、まだまだ足りない、と思わざるをえない。
小説家だけではない。日本が急速に近代国家として変貌を遂げていく明治から昭和初期に至る激動期。男たちと同じように、時代に翻弄されながらも、自らの人生を賭けて生きた女たちがいた。彼女たちにスポットライトを当てたのが石井妙子著『近代おんな列伝』(文藝春秋)である。
「強者の歴史を振り返るよりも、(中略)女性たちの生の軌跡に目を向けたい」という筆者の思いのもと、本作は「政治を支えた女たち」、「運命を切り拓いた女たち」、「天皇家に仕えた女たち」、「社会に物申した女たち」、「才能を発露した女たち」、「世界に飛躍した女たち」の6章で構成。例えば、「世界に飛躍した女たち」では、大山捨松、石井筆子、川上貞奴、クーデンホーフ光子、人見絹枝などの名が挙げられている。
歴史の授業でも駆け足で終わってしまう近代史。その人が何をしたかぼんやりとわかっていても、どんな場所に生まれ、どんなふうに育ち、どんな人生を歩んできたのかを知らないことが多い。そんな彼女たちが生きた証が詳細にかつコンパクトにまとめられている。
全編の通奏低音となっているのは、女だからといって一人の人間として扱われない理不尽さ、そこから生まれる怒りである。男たちは立身出世をめざし、その過程で妻をめとり、さらに妾をとることが非常識ではなかった時代。女はどんなに優れていても、彼らの陰の存在でしかなかった。
第5章に登場する高岡智照のように、生まれが貧しければ置屋に売られ、苦界に身を浸すことになる。
教育を受けることができた女たちはまだよかったのかもしれないと考えがちだが、第6章に登場する大山捨松のようにアメリカ留学を経て、最高の教育を受けても、帰国後、活躍の場を与えられず、「行き遅れの女」と罵られる。どちらを向いても苦界であることには変わりがない。
それでも、私たちが今、当然のように手にしている権利は、差別や偏見と闘いながら生きた彼女たちの足跡があったからこそである。彼女たちの生の堆積の先に私たちが生きる今がある。
さて、私たちはどうだろう。「女性が輝く社会」と謳われても、女たちは新たな苦界にいるとはいえないだろうか。今をどう生きるか、何を選ぶかが未来を作る。未来を生きる女たちに私たちは希望を手渡すことができるだろうか。36人の女の生き様を鮮烈に描いたこの本にそんなメッセージを投げかけられたような気がした。
いしいたえこ/1969年神奈川県生まれ。2016年『原節子の真実』で新潮ドキュメント賞、21年『女帝 小池百合子』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。ほかの著書に『おそめ 伝説の銀座マダム』『日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち』など。
くぼみすみ/1965年生まれ。2009年「ミクマリ」でR-18文学賞大賞を受賞しデビュー。22年『夜に星を放つ』で直木賞受賞。